思想新聞2001年12月15日シリーズQ&A 共産主義は間違っている!!
摩訶不思議な「人権真理教」国・ニッポン-1
美名の下にある本質は宗教的イデオロギー
オウムとジャコバン派は酷似?
Q 今日の「民法改正」へのレールを、戦後まもなく二人の民法学者によって敷かれたという八木秀次・高崎経済大助教授の指摘が先に紹介されました。この民法改正を初め、法的議論に際して、しつこいように持ち出されてくるのが、「人権」という言葉です。この点について考えを進めると、家族論やフェミニズムの問題にもつながってくるとは思いますが、こうした人権思想と共産主義的思潮との接点というか、関わりと言えるものを教えていただきたいのですが…。
A 確かに「錦の御旗」「葵の御紋」のようにかざされると、普通の人はひれ伏してしまうのが、「人権」だと言えるでしょう。そう考えてくると、戦後の日本はまさに「人権真理教」立国という感があります。つまり、国のよって立つものが「人権」という名の宗教だということですね。というのも、「人権」「民主主義」…これらのボキャブラリが何らの吟味もなく「善」を志向していると、安直にみなされているからです。「人権真理教」というのは言うまでもなく「オウム真理教」に引っかけたものですが、実は評論家の呉智英氏が、95年の地下鉄サリン事件を初めとしたオウムによる一連の事件の直後、創唱し出したものです。
その辺りの意図というものを、呉氏は『ホントの話 誰も語らなかった現代社会学』(小学館)で述べています。
「人権思想というのは本当に宗教のようなイデオロギーなのです。そういうイデオロギーに限って自分たちを『真理』だと名乗りたがる。オウム真理教もそうですね。それで私は、人権思想を『人権真理教』と呼んだわけです。
現在、人権こそ究極の真理、普遍的な理念のように考えられています。何か議論をしても、枝葉を取ると最後は人権に行き着く。人権を持ち出せば勝ちです。こういう風潮に反撥を抱く人たちは『確かに人権は大切だけれど……』と前置きをして反論しますが、そもそもこの前置きが怪しい。人権真理教のマインド・コントロールの産物ではありませんか。人権は大切だなんて、何を根拠にしてそんなことが言えるんですかね。人権なんて全然大切じゃないかもしれない。いや大切か大切でないかの議論さえ行われていないでしょう。

キリスト教では、神は大切か大切でないかという議論は行われません。戦前の日本でも、天皇は大切か大切でないかの議論は行われていません。どちらも、議論さえ許されないほどの真理だからです。宗教的真理とはそういうものです。現在、人権が大切か大切でないか、議論することさえ考えられないのは、全く同じ事情によるものです」
かつてロシアの哲学者ベルジャーエフは『共産主義という名の宗教』で共産主義を「疑似宗教」と呼びましたが、実は今日的な意味で「人権」という言葉がポピュラーになったのは、フランス革命政府が出した「人権宣言」と言えますが、この宣言の中にも実は「これは至高存在(supreme Being)によって庇護される」という文句が掲げられています。「神」ではなく「至高存在」という点が重要なポイントです。ジャコバン派による革命政府は、この「至高存在」の像を中心に祭壇が設けられ、「反革命主義」と決めつけられた「血の生け贄」が捧げられていったのです。それはまさに、オウムの「シヴァ神によるポア思想」や神戸の酒鬼薔薇聖斗事件の「バモイドオキ神」と変わらない、というわけです。
しかも、見逃せないことに、呉智英氏は「人権思想と共産主義は同根である」と断言しているのです。


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