思想新聞1999年5月25日号
「躍進・共産党」の正体 Part 10
共産区議「赤旗」に情報漏洩
助役ら幹部不在で行政に混乱
東京・足立区議会は5月13日、臨時議会を招集し、吉田万三区長に対する不信任決議案を賛成多数で可決した。これにより23区で唯一の共産党推薦の現職区長は、任期満了を1年4ヶ月残して失職した。革新区政では、共産党区議が「赤旗」に情報を漏洩。助役ら三役も不在と、行政に混乱が生じていた。区長選挙は6月20日に投開票が行われ、再選をめざす吉田氏と野党三会派が推す前助役、鈴木つねとし氏との一騎打ちとなる。
吉田区長は不信任案再議決後の記者会見で「不信任案の理由は納得できず、承服できない」と述べ、6月実施の区長選へ立候補を表明した。
地方自治法によれば、改選後の臨時議会で首長の不信任案が再提出された場合、定数の「3分の2以上」の議員が出席して採決され、過半数が賛成すれば可決となり、首長は失職する。
足立区では4月1日の自民、公明、民主の野党三会派が提出した不信任案が可決。吉田区長は議会を解散した。
4月25日に行われた区議選で、野党3会派は42議席を確保し、再議決に必要な38人に達していた。
区職員から情報入手 委員会で共産党陳謝
東京都内では、足立区を除いて共産党推薦の首長は、党籍を持つ狛江市のほか国分寺市、東久留米市、国立市長の4人(国立市は今統一地方選で初当選)。議会対策では、少数与党で議会運営は厳しいものの、首長が失職するまでには至っていない。だが、足立共産区政がこうした事態を招くことになった背景には、やはり、その運営に問題があったと言わざるを得ない。
「本来なら当選するはずのない区長」(大神田賢次前自民党区議、読売新聞5月15日付)が誕生したのはなぜか。それは保守陣営の分裂選挙に因る。吉田区長は1996年9月の区長選挙で、同区千住旧区庁舎の跡地利用において「ホテル建設反対」を公約に出馬。これに対し自民、公明などは元教育長と元都議を推すという候補者一本化に失敗した。低投票率(40.1%)となったこともあり、吉田氏が次点候補に約7,000票差をつけ初当選。吉田区政は「公約」通り、旧庁舎跡地利用で進行していた計画を白紙撤回した。
ここから共産区政は迷走を続ける。まず跡地利用を検討する審議会をめぐる問題がある。1997年2月、審議会の人選に絡んで35人のメンバーのうち、公募委員枠の6人を足立区の幹部職員らが選んだ。しかし吉田氏は、6人全員を入れ替え、選考委員会の意見を無視。審議会における共産党関係者の占める割合が増したのである。
これに対し同月の区議会では、こうした区長の姿勢を問題視し、結局、審議会は答申を出せないまま廃止されている。
さらに同年9月には、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」に、足立区の補正予算案の記事が掲載された。その内容は、契約前の小・中学校における改善費の予算額一覧で、本来、公平な入札による業者選定のため、公表されてこなかったもの。同補正予算案は区議会の委員会で否決されたものの、将来、発注される工事で、入札に支障が起きるのは当然だ。
この問題で足立区議会は調査権のある百条委員会を設置。その後の調べで、共産党区議が区役所の担当職員から予算額の情報を入手したことが明らかに。ここから「赤旗」へ情報が漏洩したことは疑いない。その後、区職員は注意処分を受け、共産党は議会運営委員会で陳謝することとなった。
前助役と吉田区長一騎打ち
こうした区長や与党共産党の「独善的体質」が、野党側や区職員らの強い反発を招いた。行政の混乱はこれにとどまらない。吉田区長就任から不在だった教育長に加え、97年12月に助役と収入役の任期が切れてからは、足立区では助役、収入役、教育長の三役が不在という異常事態が続いてきた。このほか、今年3月には同区の「産業新興計画」が10年に一度の見直し期を迎えていたが、計画内容を検討する区長の諮問機関「産業新興懇談会」の設置さえも出来ない状態が続いていきたのである。
こうした区政の停滞・混乱に野党側は昨年、「あだち区民会議」を発足させ、吉田区政の誕生にともない助役を辞任した鈴木恒年氏を統一候補に決定。先回の分裂選挙の教訓を踏まえ、足並みをそろえた区民への浸透をはかり、区長失職・出直し区長選に向けて準備態勢を整えてきた。
一方、共産党は「区長不信任再議決の暴挙」(しんぶん赤旗5月14日付)を訴え、吉田再選へ向けた運動を展開している。


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