【思想新聞2002年2月15日 視点論点】
マルクスと二宮尊徳は同時代人
名越二荒之助氏

米国ロサンゼルスや台湾、南米など日系人社会を中心に世界各地に存在する二宮金次郎像。勤勉と孝行のシンボル、それが二宮尊徳その人だ。報徳会の講演ということで、二宮尊徳の偉徳をしのぶに際し、マルクスと比較するとちょうど分かりやすい。私は戦後、旧ソ連・シベリアに五年間抑留され5年後に復員した。その時のことを省みると、すでに私有財産の否定と国有化による計画経済の失敗を身をもって実感していた。食糧など物資に不足がちでヤミ経済と横流しが横行するソ連経済を目の当たりにしつつ、収容所で飢えに苦しむ日本の悲惨さを聞かされていざ復員してみると、日本は露店がたち並び、活気にあふれた光景を見て驚いたほどだったからだ。
マルクス(1818~83)と二宮尊徳(1787~1856)はほぼ同時代人であり、相まみえることはなかったが38年間同じ時代を生きた。片やマルクスの思想は世界を席巻し、共産主義が崩壊してもなお、日本の大学ではマルクス経済学者がいまだに間違った理論を振りかざしている。片や尊徳の思想は、今や日本人の間にすら本当に知られてはいなくなってしまった。以前はどんな学校にも二宮金次郎像があったものだが、今はシンボルですらない。その意味ではむしろ台湾での方が受け継がれているようだ。ちょっとした店なら金次郎像が売られているのだ。
マルクスの思想は、階級闘争史観に貫かれている。プロレタリア階級は一握りのブルジョア階級から搾取されている、だから革命を起こして体制を転覆しなければならない、といった具合にだ。ところが、こうした階級闘争の世界観では、物事は何も生まれてこないし、権力闘争の中では社会が停滞していくばかりで、これはソ連をはじめとする社会主義体制が実証済みなのである。
ソ連時代から堪能な語学力で長年ロシアのメディアに携わってきた旧友が、ソ連崩壊後ついに、共産主義イデオロギーの誤りを吐露し、むしろ日本にこそ平等な社会を見出してしまったほどだ。
今の日本社会に必要な分度推穣思想
一方、二宮尊徳は幕藩体制が揺らぎ始めた時代の、ちょうど財政再建請負人みたいなもので、藩主のやる気と、領民のやる気を引き出して見事に藩財政を立て直した。尊徳の農政思想を採用した藩・領地は六百カ所に及んだ。その尊徳の思想は、神仏儒が一体となったモデルだった。そのモデルのように、上意下達、階級や身分を超えた一致協力がなされなければ、まさに藩財政の再建は実現できなかった。
尊徳の思想はいろいろあるが、まず「一円(元)融合」の世界観である。藩の治政に照らせば、藩主をはじめ、みな一つの心になって取り組まなければならない、一つ一つの小さな努力の積み重ねで大きなことが成し遂げられるとした。尊徳は身分の隔たりを強調するのでもなく、階級闘争にも与せず、組織の統合の倫理を示したのである。
次に「分度・推穣」の思想だ。分度とは元来、身分制を正当化する言葉だが、人や物事には限界がある、日本や藩には財政事情がある、それをわきまえよということ。その考えからすると、今の日本の赤字財政は考えられないことだ。何でも手に入る物質的な豊かさを手に入れても、家庭が崩壊し、人間関係が殺伐としたら何の意味もない。その意味で、分限をわきまえて生活するということも、現代人にとっては必要なのではないか。
そこで私は尊徳思想と儒教思想がいかに東アジアに根づいているか、それを韓国・北朝鮮・中国・台湾への旅から実感した。特に昨年中国を訪れ、北京の国防大学で「日韓中台相互理解のすすめ」と題して講演した。2千5百年も前の孔子の思想、儒教がどれほど日本、朝鮮に影響を与えたか、私は写真とスライドを用いて説明した。戦争中のことも含め私の話に、彼らは一様に「知らなかった」と理解を示した。
韓国でもかつて朴正熙大統領の「セマウル運動」をはじめ、「忠孝」の精神が生きている。このようにして共通の伝統地盤から、相互理解が得られる。
(二宮報徳会第27回講演会より抜粋、文責・編集部)


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