思想新聞 2000年5月15日号
シリーズ Q&A 共産主義は間違っている!!
共産主義の物質観は「革命のため」
物質の定義を「客観的実在」と恣意的に解釈
「資本主義の枠内での民主的改革」の欺瞞性
Q 最近、共産党は、「資本主義の枠内での民主的改革」という表現を用いています。話題の書(?)として知られている『新日本共産党宣言』(不破哲三、井上ひさし 光文社)の第一章「日本共産党はいま、日本資本主義の改革をめざす」の中で不破哲三委員長は、「資本主義の枠内で改革をすすめる」の一項目を設け、あたかも資本主義を認め、その体制の中で国民の立場にたって改革してゆく政党に変化したかのように述べているのです。共産主義思想から見て、このような主張をどのようにとらえるべきなのでしょうか。
マルクス・レーニン主義の理論的筋
A 共産主義社会の実現が、「資本主義の枠内での民主的改革」によって実現するという主張は、マルクス・レーニン主義の理論的「筋」からみてありえません。その「筋」のひとつが共産主義的唯物論です。その基礎である物質観を本体論から認識論の立場に変更したことはすでに述べたとおりです。背景となったのは、科学の発達によって、原子(アトム)が根本的要素であるとの従来の考え方に変更が迫られたからです。唯物論の立場が揺らぎ始めました。そこでレーニンは物質に対する定義を変更し、哲学における物質とは、「客観的実在」のことにほかならず、そしてその「客観的実在」とは 1.私たちの意識から独立に存在し、 2.私たちの感覚の源をなし、 3.感覚を手がかりとして認識することができるもののことをいうのだ、と主張したのです。
物質概念の社会への適応
共産党の学習書「新・働くものの学習基礎講座 哲学」(学習の友社)のなかには「そして、この物質概念は私たちが唯物論を正しくつかんで、科学的世界観をしっかり身につけるためには、一見、何でもないことのように思われるこの哲学的物質概念の内容を、深く、正確に理解しなければなりません」とあり、物質を哲学的概念としてとらえることの重要性を強調しています。それは「この規定によって物質は、物体というような狭い枠をとりはらわれて、自然全体をふくむものとして示されるとともに、人間社会をも含むものであることが示されているのです」(同上)と拡大解釈するためのものだったのです。
人間社会をも含んで解釈すると次のようになります。「社会の経済的土台(すなわち生産諸関係)は、人々がそれを意識するかどうか、意思するかどうかにかかわりなく出来上がるのです。たとえば、資本主義の生産関係にしても、それは初期の資本家たちや、さらにその前身をなした人々が目的意識的につくりあげたものではありません。彼らが、目の前の経済的利益にかられて商業や産業に従事しているうちに、知らず知らずに資本主義的な生産関係が形成されていったのです。このように生産関係は人々の意志にかかわりなく、客観的に形成されていくものであり、また私たちは、そのようにして歴史的に形成された生産関係の中に、自分の意志とはかかわりなく入り込んでいくのです。ですから、その意味では、物質的な正確を持つものです」(同上)。

政治や宗教では社会変革は不可能?
このように共産主義は物質の概念を拡大し、自然界のみならず、生産力、生産関係、資本、労働、労働争議、革命などの経済的諸関係までも物質の範疇に含ませた。すなわち、自然現象を唯物論的に説明するだけにとどまらず、社会現象までも唯物論的に説明しようとしています。それは社会問題を政策によってではなく、物質的方法で、すなわち根本的革命によって解決することを正当化するためなのです。
物質に相当する社会的側面が経済であるとすれば、精神に相当する社会的側面は何でしょうか。それがすなわち法律、政治、宗教、芸術、哲学などのいわゆる観念形態(イデオロギー)であるというのです。精神が物質の所産であるごとく、社会現象においても観念形態は生産関係の所産であるといい、観念形態と生産関係を、それぞれ社会における上部構造と下部構造と規定したのです。ここに生産関係とは生産および生産手段を中心とした人間関係をいいますが、それは要するに「社会体制」を意味しています。それゆえ、いかによい政治政策をたてても、またさらに、いかによい教育を施しても、いかに宗教的生活や道徳生活を強調しても、それらによっては社会変革は不可能であり、それはただ物質的手段、すなわち闘争と革命による生産関係の変革によってのみ可能であると言い張るのです。このような社会観を「筋」とする共産主義思想において、「資本主義の枠内での民主的改革」でとどまるはずなどないのです。社会体制こそ社会の土台であるという唯物論の立場にたっているのですから。
ここで、共産主義的唯物論の社会観を批判しておきます。何が社会の「もと」なのかという問題です。彼らは物質としての「生産関係」が「もと」であるといっているのです。しかし、ローマの奴隷制の生産関係は、法律思想と共和政治のもとで営まれ、中世の封建的生産関係は、カトリックのヒエラルキー思想のもとで営まれました。資本主義的生産関係は、カルヴァン派の流れを汲むピューリタニズムの精神、ロックやルソーらの民主主義思想、アダム・スミスの経済思想と議会政治のもとで成立しています。そして共産主義的生産関係は、いうまでもなくマルクス・レーニンの思想を土台として成立したのです。このように宗教や思想が主体的な役割を果たす中で一定の経済制度が成立し、維持されてきたというのが本当です。

資本主義打倒こそ共産主義の本質
まとめておきましょう。物質である生産関係が土台となって、その上に精神としての見解や機関、すなわち観念形態が形成されるといっているが、実際はそうではありません。マルクスの共産主義思想の例をとってみても、それはまだ共産主義社会という生産関係が存在する以前に、マルクスによって構築されたものです。それは彼らが一番よく知っているはずです。すなわち共産主義思想は、資本主義社会の中にいながら、その矛盾や病弊をみぬいたマルクスによって、資本主義社会に代わる理想社会を実現する理論として打ちたてられたものである。精神が主体、物質が対象と見るのが正しい視点なのです。


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