韓国の「犬食」は動物虐待か、文化か
思想新聞2002年2月15日 シリーズQ&A 共産主義は間違っている!!
摩訶不思議な「人権真理教」国・ニッポン 3
南極到達の偉業に秘話
Q 人権、人権というのも、確かにかまびすしいのですが、最近は幸か不幸かエコロジーとか環境保護運動の定着とも相まって、どうも「動物愛護」に対して過剰な動きがあるように思われるのです。例えば、ソルトレーク・オリンピックに引き続いて初夏に開催されるサッカーのワールドカップですが、韓国の「犬食」などが、動物愛護の精神に反するといって、主に欧米の関係者の間からクレームがついたといって話題になっていましたが……。
A これはもう、日本に限った問題というよりも、世界的な、ある意味でそれこそ「グローバリズム」の流れかもしれません。たしかに、犬料理の店を排除するとかしないとか、問題になっていましたね。また、米国では、ロデオも「動物虐待」だと叫ぶ人々がいます。
犬食の問題に限りません(例えば日本での鯨食)が、どうもそこには「西欧的尺度=グローバリズム」とする一元主義的な思考が横たわっているように思えてなりません。これを、例えば米国のテロ報復戦争と安易に結びつけるのはいかがなものかとも思いますが。 しかし、このような西欧の動物愛護主義者に対して、提示することのできる事実があります。それは棲み分け理論で著名な今西錦司が、動物学者の立場から、英国のスコットとノルウェーのアムンゼンがしのぎを削った南極点到達に秘められたドラマを分析したもので、スコットが遭難しアムンゼンが生還するのですが、その成否を分けたのは、ソリを牽引する犬を食べたか食べなかったか、ということだったそうです。非情に映るかもしれませんが、最初から最後まで何十頭もの犬を引き連れて歩くには、当然犬の食料も必要になるので、不要になれば食べた方が合理的だったわけです。
もっとも、南極基地に残されたタロとジロが生きていたという感動的なエピソードに慣れた日本人にとっては、シビアすぎる話かもしれません。ともあれ、「犬食文化」へのクレームは、このような事実を知った上でなされなければならないでしょう。
また、呉智英氏は『ホントの話』の中で、動物実験や三味線づくりのための猫捕獲業者を「捕まえた」愛護団体のメンバーが、この業界を潰せとして「部落問題より猫の生命の方が大切」と語ったというレポートを紹介しています。ここまでくると、人権どころか、「生命権」「生存権」という問題が果てしなく拡大解釈されていくようにも思われます。
ロデオが虐待だというなら、牛や豚を屠(と)殺して、食するのは野蛮ではないのでしょうか。それとも動物愛護者はみながみな完璧な菜食主義者なのでしょうか。世界にはイスラム教徒のように豚を不浄として食べない人々もいれば、牛を神聖な動物とする人々もいます。一方では肉骨粉を与えて狂牛病(BSE)が伝染するという出来事もありますが、呉智英氏は「絶滅危惧という客観的理由がある場合はともかく、多くは、政治的意図と愚かな純粋主義や鈍感な博愛主義が結びついたグロテスクなしろものなのです。動物を愛情の捌け口にすることの業の深さが、ここにも表れています」と表現していますが、実際、日本への捕鯨非難もこうした感情論的側面が強いのです。
動物愛護、それこそ、まさに人間の浅はかな「憶見」(思いこみ)にすぎないのではないでしょうか。


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