国際勝共連合 機関紙 思想新聞は創刊56年 最新の主張はこちらから

File-72 ポストモダニズムの舞台裏

思想新聞2003年2月1日号 共産主義は間違っている!!

摩訶不思議な「人権真理教」国・ニッポン―26

心身問題から刹那的身体論への傾斜 80年代以後の日本に影響

自己決定論と「還元主義」

Q 「性的自己決定論」や「ジェンダーフリー」思想と「還元主義」とは、どう関わってくるのでしょうか。

 性的自己決定論は、「自己決定」「オートポイエーシス」という概念を駆使しながら、「選択の自由」を錦の御旗に価値相対主義を巧妙に装って、実のところは「虚無主義」「アナーキズム」(無政府主義)に陥っているのです。
 また「還元主義」こそは、唯物論的世界観・人間観の根幹にある捉え方だと言えるでしょう。エンゲルスによる家庭観・夫婦観・結婚観に依拠するならば、「愛」とは何の価値を持ちません。男女の関係も「夫婦」の関係ではなくして「異性の同志」としてしか捉えられなくなります。しかも、いわゆる「家庭における夫婦」の観念は「階級支配・被支配」の関係となるわけですから、もはや「愛情」の入る余地はありません。
 一般的に「還元主義」とは、世界を数学的な機械仕掛けのものと認識する「機械論的世界観」を指す場合が多いですが、唯物思想も紛れもなく還元主義と言えます。

ポストモダン思想と結びつくフェミニズム

 そこでさらに、もう一点付け加えるならば、いわゆる「心身論」というものがあります。心身問題と言えば、宗教的には使徒パウロが「ローマ人への手紙」(7章22節)で「内なる心の法則と肢体の法則」として心身の乖離を嘆きましたが、哲学的には近代のデカルトによって心身二元論が注目されました。
 この心身問題というものが、フェミニズムとどう結びついたのでしょうか。そのカギは、実存主義マルクシズムと構造主義が媒介となったと言えましょう。実存主義は、19世紀前半のキルケゴールの時代においては、既成キリスト教への批判から精神(良心)にいかに行為を一致させるかというものが課題でした。
 しかし20世紀に入り、デカルト的方法論を再評価した現象学とともに実存主義がフランスに受容されるにいたって、メルロ=ポンティによって、心身問題に注目するところとなったのです。
 誤解を恐れず概略的に言えば、心身問題とは、現象学を樹立したフッサールにおいては、「意識」というものが問題でした。私の「意識」が変わることによって、世界や事象(事物)が再構成されるというものでした。それが、サルトルやメルロ=ポンティに至って、「事象そのもの」に至る道筋として、「身体による知覚」が大きくクローズアップされました。メルロ=ポンティ自身は、ゲシュタルト心理学などを批判的に摂取しながらあくまで冷静・客観的に心身論に取り組んだと言えます。具体的には「意識とは、原初的には〈われ思う〉ではなくて〈われ能う〉である」と『知覚の現象学』で述べているように、行為と知覚、意識をセットとみなし、精神と身体は相互に影響しあっていると考えたのです。
 ところが、構造主義、ポスト構造主義の思想家に至るとさらに、反理性主義・反形而上学・反西欧主義に拍車をかけました。そこで「身体による知覚」が強調され、いつのまにか「精神」「心」の営みはないがしろにされてしまったのです。これらはまさに、唯物思想を母胎にもっていたと言えるわけです。
 こうした基本的流れの中で、1980年代後半の日本では「構造主義」「記号論」などの「ポストモダン」と呼ばれる思潮が、バブルに沸き「軽薄短小」「ノンポリ」の時代風潮とも相まって、一大ブームとなりました。
 そこで時代の寵児となったのが、マルクス主義フェミニズムの上野千鶴子・東大教授でした。彼女は女性の立場から身体論を語り、女性が「愛」よりも「性」を語る草分けとなったわけです。
 なお余談ですが、マルクス主義的実存主義者のサルトルはボーヴォワールと生涯内縁関係にあり、構造主義の重鎮、フーコーは同性愛の末エイズで亡くなりました。ポスト構造主義者の中心人物・ドゥルーズも同性愛者で自殺という最期を遂げました。彼らの「自己決定」の生き様は、何を物語るのでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました