国際勝共連合 機関紙 思想新聞は創刊56年 通巻1895号 (令和8年3月15日)

File-74 ニーチェ流ニヒリズムを継承

思想新聞2003年3月1日 共産主義は間違っている!!

摩訶不思議な「人権真理教」国・ニッポン 28

キリスト教倫理解体し「善悪の彼岸」追求

反グローバリズムへ連繋

Q 構造主義・ポスト構造主義へのフロイト主義思想の影響についてはわかりました。ですがもう一つ、これらポストモダンに影響を与えている思想があるのではないでしょうか。

はい、そのとおりです。フロイトと並んで構造主義・ポスト構造主義に決定的な影響を与えているのが、「神は死んだ」で有名なフリードリヒ・ニーチェ(1844~1900)その人です。ニーチェは拝火教の開祖となった東洋の殉教者に仮託した『ツァラトゥストラはかく語りき』で、近現代の社会的状況を辛辣に風刺したわけですが、最後の主著となるはずだった未完の『力への意志』において、西欧のあらゆる価値の転換を企てたのです。もちろん、そこにはキリスト教的道徳観が最も解体されるべきものとして存在していました。しかし同時に彼の思想には、ナチス協力者ハイデガー以上に全体主義に通じるものがありました。
 そもそも、ニーチェ思想の到達点は「ニヒリズム」でした。今日の「人権・生命至上主義」的世界観の先駆的な概念である「生への盲目的意志」を説いたショーペンハウエルの主意主義的哲学(理性よりも人間の意志や本能性を強調する非合理主義的思想)をさらに徹底させたのが、ニーチェでした。彼は、「神の死」からもたらされる「ニヒリズム」によって「善悪の倫理規範」という垣根は取り払われ、各人の「趣味」「好み」こそが価値判断の指標となる、と主張しています。これはまさに、今日の個人主義の極致とも言える「ミーイズム」の跋扈(ばっこ)する世情の「予言」とも見なせるでしょう。
 もちろんニーチェの目論みは、キリスト教的道徳とその価値観の転覆ということに限らず、西欧文明そのものを根底から覆そうとするいわば「形而上学の解体」という試みでもありました。それがポストモダン思想においては、ことさら「中心主義」から「周辺主義」が強調され、「マジョリティ」から「マイノリティ」の擁護を旨とすることとなったのです。巷間で新手の反米・反戦思想となっている「反グローバリズム」思潮の流れは、こうしたポストモダンの影響を直接に受けています。
 さらに、こうした過剰とも言えるマイノリティ擁護の発想は、資本家と労働者、ブルジョアジーとプロレタリアートの闘争を図式化して「唯物弁証法的闘争」を煽る共産主義の思想と全く変わりありません。つまり共産主義思想のセクト主義的性格と同根ですね。すべては金持ちや権力者が悪い……と。このような責任転嫁に終始する態度こそ、実は「弱者」や途上国を立ち直らせる妨げになっていることを、見抜く必要があるでしょう。
 ニーチェの思想というのは、列強による世界分割という帝国主義が当たり前の19世紀後半~20世紀前半のヨーロッパにあっては、まさに警世の書として意義を持ち得たかもしれません。その意味では第一次大戦後のヨーロッパの決定的な影響を与えた、O・シュペングラーの『西欧の没落』よりも遙かに予言的な著作としてその意義を考えることができるでしょう。しかし、ニーチェの思想とは、あくまで「道を直くする」ための「皮肉」(アイロニー)として読まれるべきであって、それを差し引いて考えなければ、恐るべき「毒」となることを、慧眼にも評論家の西部邁氏は「保守思想に突き刺さるトゲ」と表現しています(『思想の英雄たち』)。
 そしてもう一点、ニーチェにあってポストモダンにないものを敢えて挙げれば、「デカダン」(退廃)そのものを肯定してはいない、という点です。ニーチェは「超人」を理想としました。その「超人像」には様々な見方はあるものの、そのためには人間の不断の努力を要すると説きました。
 このように、フロイト主義とニーチェ思想の、還元主義的ないわば「思想的遺伝子」を受け継いだのが、ポストモダン(構造主義・ポスト構造主義を中心とするフランス現代哲学)の思想であると言えるのです。

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