思想新聞1998年9月15日号 主張
北朝鮮が日本列島を飛び越える東北・三陸沖へのミサイル発射実験を強行したことは、日本の安全保障にとって重大事態の発生を意味する。おりしも北朝鮮では金正日総書記が国防委員長として「国家元首」の地位に就き、あたかも戦時臨戦態勢のごとき政権をスタートさせている。日本の安全保障の在り方を根本的に見直す時期にきているといえよう。
情報収集だけでなく分析力必要
今回の北のミサイル実験では防衛庁がミサイル情報の収拾に手こずり、安全保障の基礎となる情報面が「穴だらけ」である醜態をさらけ出すことになった。それを受けて軍事偵察衛星の保有や対ミサイル網としてのTMD(戦域ミサイル防衛)構想が取り沙汰されている。そのいずれも検討に値するが、それ以前に政府の情報に対する基本的認識が惚けてはいないだろうか。このことが厳しく問われなければならない。
もっとも重要なのは、わが国の安全を脅かす、すなわち「脅威」に対する認識である。脅威は「意図+能力」によって判断されるとされている。したがって情報収集も本来は「意図」と「能力」の両面で行われるべき性質のものである。
「意図」は形状的な軍事情報だけでは測れない。指導者の政治意識や経済状況、国民の社会心理など、総合的な判断を加えて、はじめて「意図」が明確になる。
「能力」はいわゆる軍事情報である。偵察衛星の保有は軍事情報を得ようというもので、ミサイルについていえば射程距離や搭載能力、基数などの情報を把握する。「意図」と「能力」が正しく把握できてはじめて「脅威」の判断が下せるのである。
かつて湾岸戦争の際に、米国は軍事情報でイラクの不穏な動きをキャッチしていながら、フセインの「意図」を読み間違った結果、クエートへの侵略を許した。その意味でも「意図」と「能力」の両面で「脅威」を把握する重要性が知れよう。
このことからも明らかなように、情報収集能力のみならず、情報分析能力の向上が不可欠となる。軍事情報をもとに「能力」を割り出し、さらには軍事力を行使しようとしているのか、威嚇なのか、それとも外交交渉の材料に使おうとしているのか、情報分析能力を向上しないかぎり「意図」は明確にならない。
と同時に、情報は保護されなければ価値を発揮しない側面があることも忘れるべきではない。いくら情報を収集しても、その中身が相手側に筒抜けになっていれば、当然それに対応されるわけで、せっかくの情報収集も生きず、ザルのごとく意味をなさなくなる。
総合的な情報力 日本には不可欠
つまり、情報を保護する手段や法制が不可欠であり、したがって、スパイ防止法(防衛機密保護法)すら制定していない国は情報収集する基本的能力を欠いている、と言われても仕方がないのである。
さきの北朝鮮のミサイル実験で米国側からの情報提供が十分でなかったとの指摘があるが、はたして米国側の問題なのか、それとも情報保護システムを欠いている日本の責任なのか、疑問が残るところである。
ハード面でいえば、偵察衛星もTMDも必要なのは言うまでもないところであろう。しかし、情報を運営する能力とシステムを整備しないかぎり、情報は「猫に小判」になりかねない。
つまり、情報収集・分析・保護の総合的情報力を持ち、さらにその情報にもとづいて確固たる防衛能力を保持しなければ、国民の平和と安全は守れないのである。この原点に立ち返って論議すべきだろう。


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