思想新聞2003年2月15日号【主張】
現在開催されている通常国会はデフレ克服が最重要課題になっているが、もう一つどうしても忘れてはならないのが教育基本法の改正である。
政治家が日本の教育の荒廃から目を背けず、また目先の利益を追い求めずに「国家百年の大計」に立つなら、誰でも教育基本法改正を成し遂げなければならないことに気づくだろう。
中央教育審議会(中教審)は3月にも教育基本法の改正案を文科相に答申する。だが、立法府がそれをひたすら待っているというのもおかしな話だ。立法化は国会の特権であるはずだ。政治家はもっと積極的に改正に動くべきではないか。
小泉首相は1月31日の施政方針演説で「人の育成」との題目で教育問題に触れた。その中で小泉首相は「新しい時代を切り拓くのは、いつの時代でも、自助自律の精神の下、他者への思いやりと高い志を持つ青年たちです。人こそ改革の原動力です」と述べ、教育基本法については「国民的な議論を踏まえ、しっかりと取り組んでいく」と言明した。
教育を軽視する疑問払拭できず
しかし、この施政方針演説で教育の位置づけはきわめて低かったと言わざるを得ない。むろん、小泉首相にとって当面の懸案はデフレ対策と構造改革にあることは理解できるが、首相自ら「人こそ改革の原動力」と確信するなら、もっと教育問題に力を入れ、かねてからの教育政策不在との不信感を一掃すべきだったといえる。今回の施政方針演説でも教育軽視の疑問は払拭できなかった。
中曽根元首相は「21世紀の日本をつくっていく最も大事なものが教育問題だ。これは20年はかかる仕事だから早く始めなければならない」とし、その最初の仕事は教育基本法の改正だと強調している(世界日報1月3日付)。青少年の現状と国の将来を憂うる国会議員は少なくとも中曽根元首相と同じ認識を抱いていよう。
教育基本法制定は終戦直後の占領下でGHQ(連合国軍総司令部)の左翼勢力によって仕掛けられた「精神的武装解除」(バーンズ国務長官)にほかならない。つまり、教育基本法の最大の問題は日本の精神的大黒柱を日本社会から抜き取り、子供たちから道徳心や宗教心を奪い、エゴイスティックな個人主義が闊歩する精神的ジャングルを日本にもたらしたことだ。
そこを日教組で代表される共産主義者らがつけ込み、今日の荒廃した戦後教育体制を温存してきた。だから、教育基本法改正なくして日本の未来はあり得ない。それを知りながら国会が今まで改正に着手できなかったのは恥ずべきことだ。
皮肉にも教育基本法改正の必要性を明らかにしたのは、神戸少年刺殺事件などの少年凶悪事件だった。こうした犠牲の上に戦後教育への疑問が高まり、中教審が重い腰を上げ、教育基本法を見直す中間報告を昨秋に提出するところにまできた。遅きに失したとはいえ、教育界自身からようやく見直し論が出てきたことは意義深い。
しかし、昨秋の中間報告は必ずしも納得できる改正案を示しているとは言えない。中間報告は「公共」に関する国民共通の規範の再構築や伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する心といった日本人のアイデンティティーの確立を目指す条項を盛り込むことを求め、さらに家庭の果たすべき役割や責任を新たに教育基本法に規定することが適当としており、これらの点は評価できよう。
だが、中間報告は宗教的情操教育については棚上げにし、国の教育権についても何ら触れていない。「愛国心」については偏狭なナショナリズムの誤解を与えるとして「国を愛する心」としており、及び腰が目立つ。また男女共同参画社会に言及しており、ジェンダーフリー思想や過激な性教育論が入り込んでくる危険性も否定できない。
中教審に日教組系人物が加わっているので、教育基本法見直し作業には限界があると指摘されている。3月の中教審最終報告もこうした問題点を克服できないと見られている。
とするなら、中教審答申を待っている必要もないということだ。政治家が本当に日本の教育の改革を考えるなら、積極的に自ら改正案づくりに当たるのが筋である。それこそ立法府の責任のはずである。
教育の改革に与野党はなし
ところが、与党内に改革に反対する政党や勢力が存在している。だから小泉首相は「国民的議論を踏まえ」などという曖昧な表現で逃げたといわれる。これが事実なら実に嘆かわしいことだと言わざるを得まい。
「国家百年の大計」である教育には与党も野党もない。日本の将来を確固たるものにしようとするなら、与野党を超えて教育改革勢力を結集し、今国会で真の教育基本法改正を断行する必要があるだろう。


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