この記事は2011年1月24日に投稿されました。
自民党大会が1月23日、東京都内で開かれた。谷垣総裁は「今年こそ菅直人首相を衆院解散に追い込んで政権を奪還しよう」と力強く宣言した。確かに昨年の党大会とは様変わりの熱気に溢れる党大会だった。菅内閣、民主党の支持率が落ち、自民党の支持率は回復傾向にある。それが自信につながっている。だが、自民党は再生されただろうか。答えはノーだ。支持率回復は民主党政権の“敵失”であって、国民の支持が戻ったわけではない。自民党にはまだなすべきことがある。それを忘れて党再生はない。
理念・政策を国民に明示できなかった
政党の要件は理念・政策と人材・組織の2点から成る。この2つの視点から自民党をみてみよう。第1の理念・政策において自民党は明確なビジョンを示すことができなかったことが1昨年の歴史的大敗の原因だった。すなわち保守政党の原点を亡失し、明確なビジョンを国民に提示できなかった。それを別の角度からいえば、小泉改革を総括しなかったことといえる。小泉改革は今では諸悪の根源のようにいわれるが、そんなことはない(郵政・刺客選挙のようなポピュリズム手法は糾弾されてしかるべきだが)。「民間にできることは民間に、地方にできることは地方に」という「小さな政府」を目指すもので、このこと自体は間違ってはいない。民主党は16兆円規模の経費節減ができると豪語し、政権獲得後にパフォーマンス的な「仕分け」を繰り広げたが、それで節減できたのはせいぜい3兆円強にすぎない。
従来の自民党政権は「聖域なき構造改革」によって財政再建、不良債権処理、規制緩和による産業構造改革、地方分権の4つを柱とし、それを行おうとした。いずれも戦後日本には不可欠な課題だった。総じて言えば「政府の失敗」(大きな政府)にメスを入れるのが小泉改革で、「小さな政府」を求めた。ただし「小さな政府」には「市場の失敗」がつきまとい、そこへの目配りが欠落した。小泉改革は何が正しく、何が間違っていたのか、どこまでやり遂げ、残された課題は何なのか。このことを自民党は国民に明確に提示しなければならなかった。それをせず小泉改革の中身が不透明化し、自らの過去を否定するかのような曖昧な姿勢に終始した。現在の不況や雇用不安の全てが小泉改革によってもたらされたわけではないが、それを麻生元首相のように「郵政民営化には反対だった」などと無責任な発言をするから、国民は郵政選挙で騙されたと思い、自民党不信は頂点に達した。それで2009年夏の総選挙で大敗した。
「安倍路線」を放棄し、おかしくなった
理念・政策において自民党が犯した第2の失敗はポスト小泉を担った「安倍路線」を放棄してしまったことである。小泉路線で市場中心となれば競争社会に付きものの勝敗と格差が生じ、当然、セーフティネットが必要となる。わが国の社会保障への投入額は先進諸国の中でも際立って少ないが、それは家族や地域、会社といったさまざまな支え合い(セーフティネット)があったからである。ところが社会構造の変化によって核家族、1人暮らし世帯が増加し、血縁も地縁も薄くなり、企業もアメリカナイズされて会社縁も薄れ、すべての支え合いが希薄となってしまった。フランスの社会学者エミール・デュルケムがいうように、「あらゆる社会は一個の道徳的社会である」とされるが、それはさまざまな縁で結ばれている共同体的意識を指し、これが社会における「見えざる手」となって、お互いがネットワークを形成する。それが近年の日本において崩壊、液状化して「個」社会に陥り、国民は不安をつのらせた。
これを再生して「支え合い」社会を取り戻そうとするのが、安倍路線にほかならなかった。自助と共助でセーフティネットを作り、どうしてもできないことを公助がカバーする。それには支え合いの国民精神を取り戻さねばならず、公徳心と学力向上の教育再生策はその一翼を担う。そして新憲法制定によって維新、終戦に次ぐ、確固たる「第3の国作り」を成し遂げる。それが保守路線であり、構造改革に魂を入れることでもあった。ところが、安倍元首相は早々と辞任し、それ以降、自民党は安倍路線を放棄し、保守的理念まで投げ捨て、容共的個人主義的施策に埋没した。理念もビジョンも展望も失い、その結果、保守基盤まで失ってしまったのである。
まず国民に国家像を提示せよ
これを自民党は取り戻したであろうか。今回の党大会で採択した平成23年度運動方針は「国家の主権と領土を守る」ことに重点を置き、尖閣や北方領土での民主党政権の対応を「毅然とした抗議や主張もできず圧力に屈したかのような印象を国際社会にあたえた」と批判し、弱体化した日米同盟の再構築や防衛力の充実・強化とともに、「自衛隊の憲法上の位置付けの明確化など、9条をはじめとする憲法改正を視野に入れなければならない」と強調した。外交・安保政策で自民党らしさが戻ってきたことは評価してもよい。
だが、国家像については依然、曖昧模糊としている。菅内閣は税と社会保障の一体改革を目指し、野党とも協議したいとするが、これに対して自民党は確固たる代案すなわち国家像(社会保障・税を含め)を示さねばならない。むろん菅内閣が子供手当などバラマキ・マニフェストを放棄し、国民に信を問うのが筋であるが、それとは別に自民党として国家像を国民に提示する責任がある。谷垣総裁は党大会で「いたずらに国会審議を混乱させない。国会の場で自民党の政策ビジョンを国民に堂々と示す」と述べたが、言うまでもないことである。自民党は1990年代半ばの党大会から一貫して「小さな政府」を掲げてきた。それを昨年、削除した。今年も言及していない。いったいどんな政策ビジョンなのか、いまだ示されていない。これでは党再生はおぼつかない。
党員は激減し組織は崩壊したままだ
政党のもうひとつの要件である人材・組織はどうだろうか。これにはまったく手がついていない。党の足腰である「保守基盤」を再構築せず、安易に公明党票に依存する、ひ弱な党体質がいまだ残っている。従来、自民党は地縁や血縁、業界縁を要に議員後援会を作り、そうした人々で党員を構成した。ところが、こうした基盤は社会構造の変化で弱体化し、その上、「自民党をぶっ壊す」とした小泉時代に瓦解した。小泉政権が登場した01年当時、237万人だった党員数は、低下の一途を辿り08年時には105万人、そして昨年はついに100万人以下へと激減した。例えば、特定郵便局長OBらで作る「大樹」(01年時、党員数約24万人)は郵政選挙で離反し、建設は業界自体が縮小、自民党への不満や小沢氏の切り崩しで自民離れを起こした業界団体も数多い。前回の総選挙では茨城県医師会が全7選挙区で民主候補を推薦し、自民党厚労族の大物議員が落選したのはその象徴だった。むろんそうした業界団体に依拠する組織では、思い切った改革は望めない。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)ひとつとってみても、農協との軋轢が生じる。しかも市町村合併で自民党の「草の根の活動家」の地方議員が大幅に減って手足も失った。これを各選挙区で2、3万票を持つとされる公明党の支持で安易に補おうとして、党再生を怠ってきた。300選挙区支部の支部長に長年にわたって現職議員らを就けることで新人の参入を封じ、人材も枯渇し、ひ弱な党に陥った。こうした課題はほとんど先送りされ、地域レベルではまったくといっていいほど新たな取り組みがなされていない。これでは党再生など望むべくもない。
立党の原点に立ち戻り保守再生を
もう一度、党の足腰を見直すべきだ。1955年(昭和30年)の保守合同(すなわち自民党立党)に当たって三木武吉は「保守勢力の分断確執によって失わずともすむ議席を失い、それがため憲法改正の機会を永久に失う恐れである。今一つは社会党発展に内包する容共勢力の進出」(御手洗辰雄『三木武吉伝』)と、憲法改正と共産勢力阻止の2点こそ自民党の立党の精神と断じ、立党宣言では「個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本条件となす」とうたい、政綱では「正しい民主主義と祖国愛を高揚する国民道義を確立するため、現行教育制度を改革するとともに、教育の政治的中立を徹底し、また、育英制度を拡充し、青年教育を強化する」として、国民道義の確立を主要任務の一つに掲げた。こうした「道義国家」を目指す気概を取り戻し、利害団体ではなく理念・政策によって党員・組織の再構築を図らねばならない。その意味で自民党はまだ再生していないのである。
2011年1月24日


コメント