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~もう一つの共産主義を検証する~ 根底に存する怨恨感情

思想新聞2004年2月1日【シリーズ ポストマルクスの群像】・2

プロローグ・後編

 まず、前回提起した「21世紀の共産主義」ともいうべき「共産主義の新しいカタチ」は、そのターゲット(攻撃目標)を、国家・基幹部分ではなくして、それよりもっと根源的な文化・宗教全般に絞っているということ、それがまさに「文化共産主義」と呼ばれるゆえんです。つまり、いわば「ハードの革命」から「ソフトの革命」へと路線転換したのです。逆説的に言うと、国民の文化や宗教さえ解体・転倒させてしまえば、国家体制は自ずから変わらざるを得なくなるわけです。いくら国家体制の下で法律や制度を変えたとしても、それを構成している人々の考え方や感じ方受け止め方が変わらなければ、「真の革命」は達成できない――と「文化マルキスト」(パトリック・ブキャナン『病むアメリカ 滅びゆく西洋』成甲書房)らは喝破していたのです。
 この「文化マルキスト」についてその特徴を、八木秀次・高崎経済大助教授は、『世界思想』03年9月号のインタビューで「それ(「文化マルキスト」)が今日本にはびこっている。シロアリのように、2000年以上の年輪を持つ日本という大木を、中から食い荒らす。彼らはもう体制派で、審議会を使って次々に政府や自治体の見解を出している」と述べています。

社会を誤らせてきた3つの思想

 このような「新しい共産主義のカタチ」というものは、全体の思想的流れからすると、どのように位置づけられるのでしょうか。この点について今回は概観してみましょう。
『共産主義の終焉』(李相軒・著)の続編にあたる『頭翼思想時代の到来』によれば、現代社会を蝕む「戦犯」として三つの思想を挙げています。それは、マルクス主義・ダーウィニズム・フロイト主義の三潮流で、渡辺久義・京大名誉教授も『意識の再編』(勁草書房)で同じ指摘をしています(図参照)。

 この三つの流れというものが、現代思想においてどれほど大きな影響力を持っているか、図Iから一目して瞭然でしょう(講談社『現代思想の冒険者たち』参照。ただし、科学理論については同シリーズは触れていません)。
 確かに、思想的影響というものは、マルクスと結びついたダーウィン進化論、マルクス主義とフロイト思想の融合というように単純なものとは言えないでしょう。そこにはヘーゲル弁証法の再解釈があったり、ニーチェのニヒリズム思想、そして実存主義の「企投」(アンガージュマン)思想が加わったりして、複雑な様相を呈しています。
 もちろん一部には、「何でも《共産主義》にしてしまっていいのか。レッテル貼りではないのか」と訝る向きもあるかもしれません。
 しかし、私たちにはことの本質を見極める必要があるのです。ですから、これまで勝共思想講座でもマルクスの弁証法的唯物論の成立する契機、すなわち「動機と経路」を克明に分析した「疎外論」で子細に論じてきました。
 古来、「思想」と呼ばれるものはおよそ、人間が生み出す以上、多かれ少なかれその人間の人生が投影されてきました。にもかかわらず、思想家というものは一様に、自らの思想・哲学の独自性・斬新さ・ラディカルさというものを喧伝しがちです。それは、思想としての「生命線」なのかもしれませんが、それを「自(僭)称」したがるものほど、実はあてにならなかったりします。この点を厳しく追及したのが、「マルクス主義は疑似科学にすぎない」と唱えた科学哲学者カール・ポパーの「批判的合理主義」と言えるでしょう。
 かように考えると、表面的には、あまりにも複雑で錯綜した「思想的回路」を解きほぐし、動機的本質にまで迫りながら、問題部分を摘出する作業が要るわけです。このような作業を通じ、何がわかるのかというと、まさに図IIのような、「共通性」です。
 その唯物論、闘争理論、支配―被支配の人間観、抑圧的な社会・歴史観、それを解き放つ解放理論という、思想的骨格です。

嫉妬の情念を掻き立てて正当化する

 先の八木助教授はまた「ジェンダーフリーは思想的にはマルクス主義に原型があり、最近はポストモダン思想や新左翼の過激思想が入り込んでいる。そのためありとあらゆる左翼団体がかかわっている。旗を振っているのは70年安保の全共闘世代で、彼らは50代半ばで所属している組織の実権を握っている。…ジェンダーフリーはいわばルサンチマン(怨恨)の思想で、源流にあるマルクス主義が憎悪の思想なのと同じだ。人間の妬みや嫉妬の思いを掻き立て、それを正当化する理屈を与える思想」と看破しています。
 この怨みの情念はまさにテロリズムにも通じていると言えます。

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