思想新聞2003年12月1日号【主張】
政府の国民保護法制整備本部(本部長・福田官房長官)は11月21日の会合で国民保護法制の「要旨」を決めた。これは有事の際に国民の生命・財産を守るためのもので、さる6月に施行された武力攻撃事態対処法とともに有事法制の柱となる。同対処法施行の一年以内に制定することで与党と民主党が合意しており、来年の通常国会で成立する見通しである。
国民の義務が不明確なまま
今回、明らかにされた国民保護法制の「要旨」では、有事における知事権限を拡大し、原発攻撃にも対策を設け、さらに大規模テロにも準用するなど、現実的な取り組みが見られる点が評価できる。しかし、その一方で国民の義務を不明確にしたことで強制力が伴わず、有事の際に十分に機能するのか、根本的な問題点も残している。
国民保護法制を実効性のあるものにするには、国民が有事に対応して協力する行為を「国民の義務」とし、基本的人権が一時的に制約されることもあり得ることを明確にしておく必要がある。これは憲法の人権観とかけ離れたものではない。憲法は基本的人権が「公共の福祉」のもとに存在していることを明らかにしている(十二条など)。
ところが、「要旨」は腰が引けている。有事に対する国民保護活動への協力を「国民の義務」と明記せず、ただ協力を依頼するだけで、協力拒否者に罰則規定も設けていない。こうした態度は有事では逆に被害を拡大させる、つまり人権侵害を広げる可能性のあることを想起しておくべきだろう。
有事における人権蹂躙で最も危惧されるのは、侵略軍の攻撃による人命殺傷や財産破壊であることは論を待たない。そうした人権蹂躙に立ち向かうのが有事態勢であり、国民保護法制である。これを実効性あるものにするには、一時的に、あるいは特定地域において、国民の人権の一部が制限されるのは「公共の福祉」のうえから容認されなくてはならない。侵略軍を跳ね返し、すなわち防衛に成功し平時にもどれば、制約された人権もまた、もとどおりになるのは言うまでもない。
これは有事だけでなく災害という非常時でもそうだ。だから災害対策基本法は同法にある業務従事命令違反者への罰則規定を設けている。にもかかわらず「要旨」はこうした罰則を設けず、強制力をほとんどもたせていない。これでは国民保護は十分に機能しない。有事という非常事態には人権の一部が制限されることもあり得るという国民のコンセンサスが必要であり、そのための国民保護法制であることを政府は自覚すべきだ。
たとえば、避難拒否者の扱いや奇襲時の突発的な避難の仕組みを考えれば、強制力を伴う権限がないと自治体は的確に住民を保護できない。避難を拒否した人を説得する間に他の多くの人に被害が及んだり、あるいは医者が「医療拒否する自由がある」として医療活動に協力しなければ、その地域で多数の犠牲者を出す可能性もある。「要旨」では協力を拒否されれば、強制的に協力させる方法はない。罰則規定がないから、ただお願いするだけで、それでもだめなら、なすすべがない。
また今回の「要旨」は、人権ばかりにおもねり、戦前の総動員法や隣組のイメージを避ける意図から、国民に被災者救助の実施を義務付ける「民間防衛」の観点をまったく欠落させている。その結果、一部の政治家から住民の避難に自衛隊が人員を割けるようにしてほしいとの要望が出されている始末だ。
これは筋違いな話だ。言うまでもなく有事の際には、自衛隊は侵略軍を排除するために戦闘するのが主任務である。避難活動に人が割かれれば、本来の防衛の使命を果たせない。むろん、防衛行動に余裕があれば避難誘導に自衛官を割けるだろうが、現行の部隊規模を見ればそういう余裕があるはずがない。
民間防衛組織の訓練が必要
したがって災害時と同様に、地域住民自らで民間防衛組織を作り、日頃から訓練を重ね、避難や消火などに当たる仕組みを作っておかねば、本当の意味の国民保護などできるものではない。だから他国は民間防衛組織を地域社会で作り、日頃から災害や有事に備えた訓練を行っているのである。
たとえばスイスの民間防衛は「敵の攻撃、または自然災害によってひき起こされる被害の局限化、緊急事態の処理、重要施設の応急修理、復旧に関する非軍人の活動のことであり、そのための機関組織」と位置づけ、あらゆる地域社会に民間防衛組織を作っている。こうした民間防衛組織の訓練を通じて、国を守る「国民の義務」のアイデンティティが形成されている。
国民保護法制が付け焼き刃でなく将来ビジョンを見据えて制定されることを望みたい。


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