この記事は2011年1月14日に投稿されました。
優柔不断で決断できぬ菅首相の背中を押したのは、西岡武夫参院議長だったようだ。昨年末以来、辞める、続投、で揺れ動いた菅首相は1月13日、ようやく仙谷由人官房長官を交代させることを決めた。身内の民主党出身の西岡参院議長が『文藝春秋』2月号(1月8日発売)で、仙谷官房長官を「自衛隊を『暴力装置』と発言したり、放言はとどまるところを知らない。『法的拘束力のなさ』を理由に平然としているのはいかがなものか」と痛烈に非難、返す刀で菅直人首相に対して「すべてがスタンドプレーありきの思いつきだ。菅政権は、無為無策にとどまらず、国家に対する哲学すらないのではないか」と言い切った。参院での問責決議を軽視する菅-仙谷政権に堪忍袋の緒を切ったようで、野党が多数を占める参院での通常国会審議ストップを議長自らが言明した格好である。最後通牒といってよい。これで国民は連日テレビで記者会見する、傲慢不埒な仙谷長官の顔を見なくて済む。ストレスも少しは解消されそうだ。
法治国家の概念と相容れない仙谷発言
本来ならば、昨年11月時点で辞めさせるのが筋だった。自衛隊「暴力装置」発言は更迭に値する発言だったからだ。尖閣諸島での中国漁船体当たり事件では国恥といってよい船長釈放を“指揮”し、それを批判されると「(中国への)属国化は今に始まったことではない」と言い放った(10月18日の参院決算委で自民党・丸山和也議員が暴露)。
こうした発言は「個別の事案については答えを差し控える」「法と証拠に基づいて適切にやっている」との2つのフレーズで国会答弁ができるとした国会軽視発言で辞任した柳田前法相よりも悪質である。自民党政権なら首はとっくに飛んでいたはずだ。自衛隊を「暴力装置」とするのは共産主義の階級国家観そのもので、全共闘出身の仙谷氏が今なお共産主義思想を保持していることを証明したばかりか、「民主党政権の自衛隊観を反映した」(産経新聞11月19日付)とされた。仙谷氏は退任しても民主党の要職に就き、院政を敷きたいらしい。そうであれば、なおさら国民は「暴力装置」発言を忘れるわけにはいかない。
仙谷氏の自衛隊「暴力装置」発言は11月18日の参院予算委員会でのことだ。自衛隊への認識が怪しいのは菅首相も同様で、昨年8月、「大臣は自衛官ではないんですね。改めて調べてみたら、首相は自衛隊の最高の指揮監督権を有している」などと述べ失笑を買った。これが日本の為政者たちの頭の中身とすれば、呆れるほかない。自衛隊は国民の代表である国会において制定された自衛隊法によって組織されており、「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たる」(第3条)が任務である。総理大臣が最高指揮官であり、文民統制など法秩序の中に自衛隊は置かれており、自衛隊が「暴力装置」であるわけがない。暴力とは「乱暴な力、無法な力」(広辞苑)のことだが、自衛隊はけっして乱暴でも無法でもないからだ。
「暴力装置」は共産党、極左のいうことだ
仙谷氏は旧社会党出身で、東大時代は日韓条約反対デモに参加し、「フロント」と呼ばれる社会主義学生運動組織で活動していた全共闘出身である。マルクス主義に傾倒していたのだろう。そのマルクスと盟友のエンゲルスは、私有財産をめぐって支配する階級と搾取される階級が生まれたとし、「(支配)階級は、国家を通じて、政治的にも支配する階級となり、こうして、非抑圧階級を抑制し搾取するための新しい手段を獲得する」(エンゲルス『家族、私有財産および国家の起源』)として、国家を「支配の道具」と断じた。それで国家は階級支配の機関として生まれ、軍隊や警察は被支配階級の反抗を粉砕するための国家のもつ強制機関とした。この考えを踏襲したレーニンは「国家は、特殊な権力組織であり、ある階級を抑圧するための暴力組織」(『国家と革命』)と、国家を暴力組織と呼んだ。
日本共産党は武力闘争時代の1951年、第4回全国協議会で「米軍を主力とする国内の傭兵軍、警察、暴力団を含む一切の暴力組織」と、警察予備隊(自衛隊)や警察を暴力団と同列の「暴力組織」とし、それを「粉砕する人民の武力闘争が必要」と煽った。その後、共産党は武力闘争一辺倒から「敵の出方論」(体制側の出方=抵抗=によって武力も使う)に転じたが、自衛隊を「暴力装置」とする考えは変えなかった。1973年の「民主連合政権構想」では自衛隊について「国家暴力装置の主要な部分として国民弾圧の機能をもっている」(第12回党大会「民主連合政府綱領についての日本共産党の提案」上田耕一郎幹部会委員=73年11月21日)と、自衛隊を「暴力装置」と明言している。ちなみに、この綱領は現在も共産党の中で生き続けている。
菅首相も文化共産主義という同じ穴のムジナ
「暴力装置」発言は民主主義と相容れない。そんな反民主主義思想の持ち主が内閣の要である官房長官に座り続けてきたのは異様である。発言が「民主党政権の自衛隊観を反映」とされたのは、仙谷長官のみならず菅首相もマルクス主義的思想の持ち主だからだ。菅首相は昨年6月の菅首相の所信表明演説(6月11日)で、松下圭一法政大学名誉教授を「政治の師」と持ちあげ、その思想が自らの政治理念と言明した。松下氏の思想はイタリア共産党の指導者アントニオ・グラムシの「ヘゲモニー論」やパルミーロ・トリアッティ(1893~1964)の「構造改革論」の影響を強く受けたものである。トリアッティの構造改革論は1950年代に日本の共産党や社会党に紹介され、路線闘争を経て主流にはなりえなかったが、江田三郎氏や松下圭一氏に継承され今日に至っている。この思想は文化共産主義のひとつである。その流れの中で「暴力装置」発言があった。とすれば、退任するのは仙谷氏だけでよいのか。菅首相も民主党も同罪とするなら、菅政権・民主党政権を退陣させねば筋が通らない。
2011年1月14日


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