【思想新聞2004年4月15日号】 主張
イラク国内で日本人三人が四月八日、「サラヤ・アルムジャヒディン(イスラム戦士軍団)」を名乗るグループによって人質となった事件は、改めて日本の国際貢献への決意が試されている。同グループは人質の生命と引き替えにイラクからの自衛隊撤退を主張しているが、政府はこれに断じて応じてはならない。爆破や暗殺など生命を脅かす行為を通じて自らの政治的主張を達成しようとするのがテロであるから、今回の人質事件もれっきとしたテロ行為である。このことを国民ははっきりと認識しておかねばならない。
テロへの最も有効な対抗策は「一切妥協しない」ことであり、愚策は「屈して妥協する」ことである。これは世界の常識である。かつて日本がその愚策を採用してテロを助長した苦い経験があることを今こそ想起しておくべきだ。
ダッカ事件の轍を踏むな
それは一九七七年九月、日本赤軍が日航機をハイジャックし、乗客の釈放と引き替えに日本で拘置中の日本赤軍の仲間と六百万ドルを要求(ダッカ事件)。当時の福田内閣は「人命は地球よりも重い」と、この要求を受け入れた結果、日本赤軍は釈放された仲間と資金を使って大使館占領事件などテロを続発させた。日本政府はテロに屈してテロの連鎖を招いたと世界から非難をこうむった。
この轍を決して踏んではならない。人質を盾に要求を突きつけられると日本はすぐにそれに屈するとなると、日本人はあらゆるテロリスト、強盗、犯罪者のターゲットになるのは必定だろう。犯罪が成功すれば必ず真似る犯罪者が現れるからだ。そればかりか、日本は国際社会に対して約束したことも自国民の生命の方が大切だとして平気で裏切るエゴ国家との烙印を押され、世界中から信用されなくなるだろう。だから、どう考えても犯行グループの要求に応えるべきではないのだ。
昨年十一月にイラク北部で殺害された奥克彦参事官は「犠牲になった尊い命から私たちが汲み取るべきは、テロとの闘いに屈しないと言う強い決意ではないか。テロは世界のどこでも起こりうる。テロリストの放逐は我々全員の課題である」と外務省ホームページに記していた。そのようにテロとの闘いは政府関係者も民間人も問わず、国民としての義務なのである。
周知のようにイラクでは昨年三月のイラク戦争以来、外務省は「避難勧告」という最高危険度地域に指定してきた。護衛を伴わずに犠牲になった奥参事官らの事例が示しているように、いつどこでテロリストの襲撃を受けるか知れない。だからこそ「日頃から危険回避の訓練をしている自衛隊には一般国民にできないことができる」(小泉首相)として自衛隊を人道復興支援に送り出したのだ。報道陣も万全の警備体制を敷いている。
にもかからわず人質になった三人はこうしたイラクの情勢を知ってか知らずか、無防備でイラク入りし、その結果、人質になった。何という無責任な行動なのか。これは必ずしも政府の責任と言うよりも、自から招いた責任と言えなくもない。
それを人質となった邦人の一部家族は何が何でも政府の責任だと言わんばかりの発言を繰り返している。そればかりか、テロ・グループの主張とまるで歩調を併せるかのように自衛隊撤退を主張すらしている。何とも非常識な態度である。こういう態度こそ、テロリストに味を占めさせテロを繰り返えさせることになる。
むろん、政府は国民の生命に責任を持っており人質救出に全力を挙げているのは論を待たない。政府を信じて解放に全面協力するのが筋であるのに、このように一部家族が足を引っ張るかのような態度を示すのは、いったいどういう了見からなのか、疑念が残らざるを得ない。
欺瞞的な自衛隊の撤退要求
人質事件を利用することも許されない。「涙の署名運動」と称して、自衛隊撤退を行わないから解放されないと言わんばかりにお涙頂戴式に撤退要求署名運動を行っている共産党や社民党および左翼集団の行為は、テロ・グループと結託する「確信犯的」な欺瞞的行為と断じざるを得ない。
言うまでもなく自衛隊はイラクの人道復興支援に赴いているのであって戦争に行っているのではない。しかも自衛隊派遣は国連安保理決議(昨年十月、一五五一決議)に基づくものであり、二月に訪日したアナン国連事務総長が国会演説で自衛隊派遣で日本政府に謝意を表明したことからも復興支援であることは明かなところだ。そればかりか当の派遣地のサマワのイラク国民から大歓迎を受けている。いったいイラクで誰が自衛隊撤退を叫んでいるのか。それはフセイン残党勢力かテロ集団ぐらいのものだ。
とまれ今回の人質事件で国際貢献が後退してはならない。


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