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北朝鮮住民 亡命事件南北統一への予兆

思想新聞2002年6月1日TOP【北朝鮮亡命事件】


激動する東アジアに備えよ
「ベルリンの壁」崩壊も亡命急増が引き金に

中国・瀋陽の日本総領事館事件から政治決着でフィリピン経由で韓国に亡命した「脱北」者たち(5月23日、韓国・仁川国際空港=ロイター・サン)

 中国遼寧省瀋陽の日本総領事館で起こった北朝鮮からの脱出住民による亡命連行事件は5月23日、亡命者5人がフィリピンを経由して韓国に亡命し、人道上の問題は一応、解決した。同事件は中国による日本の不可侵権侵害問題を残したのみならず、外務省の事なかれ主義を浮き彫りにし日本の外交・難民政策のなさを見せつけた。中国の主権侵害、そして外務省の無策は指弾されなければならないが、それだけに目を奪われていてもいけない。北朝鮮亡命者の急増は何を意味しているのか。かつて「ベルリンの壁」を崩壊するきっかけを作ったのは、東ドイツからの亡命者急増問題だったことを今こそ想起しなければならない。今回の事件を偶発的あるいは単発的事件として済ませてしまうわけにはいなかいのだ。南北統一への東アジア激動の予兆と見るべきである。

 瀋陽亡命事件は「脱北」の流れが一段と拍車が掛かってきていることを見せつけた。今年に入って韓国への亡命者はすでに300人を越えた。昨年は1年間で583人だったから、今年はこれを上回り過去最高になるのは必至である。
 90年代以降、「脱北」者はどう推移してきたのだろうか。左図グラフにあるように93年まで1桁で、北朝鮮から亡命することは実にまれだった。だが、94年からは2桁に増え、99年には3桁になり、それ以降、倍々で増加してきた。今年は3月に25人が北京のスペイン大使館に集団で駆け込み、韓国への亡命を求める事件が発生。続いて4月にはドイツ大使館に1人、米国大使館に2人が駆け込み、そして5月には瀋陽の日本総領事館への駆け込みほか亡命事件が続発した。なお、中国・吉林省の国境警備隊が省内で身柄拘束した「脱北」者は今年4月から2カ月間で1148人に上るという(中国警察機関紙「人民公安報」5月29日付による)。
「脱北」者が続発する意味は一体なんだろうか。一般的に考えられることは、第一には命懸けで亡命するほど生活苦が進んできたこと、第二には韓国側(西側)の情報が北朝鮮社会に浸透しつつあること、第三には亡命を阻止する北朝鮮の治安力が低下してきていることなどが挙げられよう。いずれにしても北朝鮮の独裁体制にゆるみが生じてきていることだけは間違いない。
 ここで注目しておくべきは、亡命者の動向は独裁体制の行方を左右するということだ。
 89年11月9日に「ベルリンの壁」が崩壊し東ドイツ政権が瓦解、続いて東欧全体が解放されるに至った、そのきっかけを作ったのは実に亡命者の群だった。「脱北」急増の行方を知るためにも、その事実を改めて確認しておく必要がある。
「ベルリンの壁」崩壊の予兆は89年5月から始まっていた。それは大量の亡命者の出現だった。当時、ハンガリーがソ連のゴルバチョフ書記長のペレストロイカを先取りして自由化路線をひた走り、5月2日についにオーストリアとの国境線の高圧電流鉄条網(鉄のカーテン)を撤去する作業を開始した。このニュースが東独市民に伝わると、ハンガリー~オーストリア~西ドイツのルートでの亡命者が急増。5月から7月末までに240人が国境越えに成功した。このときの亡命者の数は最初は3桁だったのである。
 ところが8月に入ると大激震が走る。ハンガリーはもともと東独市民の夏期休暇のメッカで、例年10万人以上の市民が訪れるが、この年は約22万人が避暑を理由にハンガリーに入った。8月19日にハンガリー・オーストリア国境で欧州統合運動主催の集会が開催されると、これに参加した東独市民約1000人が一挙に国境を突破。さらに西独への合法的な出国を目指す市民約6500人がハンガリー国内のカトリック教会系の難民収容所に逃げ込んだ。
 このためハンガリー政府は9月11日、国内に滞在している東独市民の西独への出国を認めオーストリア国境の六カ所の検問所をオープン。この日、1日で実に1万人近い東独市民が怒濤のごとく西独を目指して出国したのである。
 こうして東西を分断していた「ベルリンの壁」の意味がなくなってしまい、東独政府がこのことを容認したため11月9日、西ベルリン市民は一斉に壁を崩し始め、ついには「ベルリンの壁」崩壊――東欧解放へと進んでいったのである。
 このように亡命者が冷戦終焉への引き金となったことを想起すれば、北朝鮮からの亡命者が増加していることを軽視すべきではないことがわかろう。むろん、東独の場合はその数は4桁(千人台)から5桁(1万人台)へと推移していったわけで、北朝鮮の場合と桁が違う。だが、今年の「脱北」者が千人に迫っていく情勢を見れば、いつ千人単位の怒濤の脱出劇が始まるかわからないのだ。
 そこで東西ドイツと北朝鮮・韓国の取り巻く情勢の共通点と相違点について十分に認識しておく必要があるだろう。
 まず統一への希求についてだ。同一民族として東西ドイツも韓国も統一を悲願していることは共通している。しかし、東独市民には民主主義の歴史があり、自由への希求はきわめて強かった。これに対して北朝鮮住民は李氏朝鮮~日韓併合~共産体制の歴史を通じて民主主義の経験がない。このため共産体制が当たり前といった感情が支配的である。生活苦での「脱北」があっても自由を求めての「脱北」は少ない。
 また東欧には自由化の嵐がたびたび起こっていた。56年のハンガリー動乱、68年のチェコ事件、81年のポーランド事件などソ連に対抗する自由化運動が発生。その抵抗の矛先はソ連であり、自由化は民族運動の色彩を帯びていた。これに対して北朝鮮では自由化の組織的運動は皆無に近い。しかも他国支配ではなく同一民族内での支配であり民族抵抗運動に発展する要素はない。
 さらに東欧には自由諸国の情報が様々な形で流入し東欧市民は東西を比較することができた。これに対して北朝鮮住民は完璧に近い情報閉鎖社会に陥れられている。
 そして問題は北朝鮮国境が続く中国東北部がハンガリーのような亡命への緩衝地帯になるかである。中国は米国の直接的影響力が中国国境に迫ることを嫌って、韓国主導の南北統一を阻止しようとしている。だから「脱北」者の急増を警戒しており、ハンガリーのように国境をオープンにすることは考えられない。
 だが、北朝鮮と接しているのは今回の亡命事件が起こった遼寧省と吉林省だが、ここには200万人を越える朝鮮族が存在していることを見落としてはならない。吉林省には延辺自治区という朝鮮族の自治区が存在し、ここが北朝鮮住民と深く関わっている。ここの朝鮮族はもともと居住していた人と旧満州時代に入植した人に加えて北朝鮮から脱出して住み着いた人々(つまり「脱北」の先輩である)から成っている。中国の開放改革政策によって朝鮮族の人々は韓国を始め世界の情報に通じているのだ。
 すでにこの地域に10万~15万人の「脱北」者が入り込んでいるとされる。北朝鮮国境の警戒が緩めばさらなる「脱北」者が出てこよう。そのとき、中国政府はいつまでも閉鎖的な対応で済ませることができるのか。欧米の人権批判にさらされることを恐れて容認施政に転換することは大いにあり得るのだ。とすれば、中国が東独崩壊の引き金を引いたハンガリーの役割を担う可能性はあり得るのである。
 これを日本も他人事と考えていてはならない。なぜなら「脱北」者の中には日本人妻や在日朝鮮人の親族が出てくることが予想されるからである。そのとき、日本は閉鎖的な難民政策で済ませるわけにはいかないはずだ。韓半島の南北統一を見据えた確固たる北東アジア政策を作っておかねばならないのである。
 

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