国際勝共連合 機関紙 思想新聞は創刊56年 通巻1896号 (令和8年4月1日)

武器輸出三原則の見直しは抑止力強化の必要条件だ

この記事は2013年10月25日に投稿されました。

安倍首相が設置した諮問機関である「安全保障と防衛力に関する懇談会」が21日、外交と安全保障の包括的な指針となる「国家安全保障戦略」の概要をまとめた。政府は今後、概要を基に最終案をつくり、12月に新防衛大綱とともに閣議決定する。
 発表された戦略では、中国や北朝鮮の軍事力増強を「脅威」と位置付け、領域保全強化や海上安全保障の確保が打ち出されている。また、他国との防衛装備・技術協力を拡大する観点から、「武器輸出三原則」の見直しが明記された。

日米同盟に難題をもたらした武器輸出の全面禁止

武器輸出三原則は、1967年に佐藤首相が表明した政策だ。その内容は、①共産国、②国連決議により武器等の輸出が禁止されている国、③国際紛争の当事国又はそのおそれのある国に対する武器輸出を認めないとするものだ。
 しかしその後、三木首相はさらに、武器輸出の全面禁止を表明した。これによって日本は、多くの難題に直面することになる。
 「世界の警察」としての役割を果たさなければならない米国は、独自で軍事技術を開発することに限界を感じていた。特に技術レベルの高い日本に対しては、軍事技術の移転を盛んに求めた。三木首相の表明を守り続けるべきか、米国の要請にこたえるべきか。日本はその板挟みにあったのである。結局日本は、1983年に米国への武器技術供与を閣議で了解する。
 1990年代に入ると、北朝鮮のミサイル開発が深刻な問題となった。米国はミサイル防衛システムを早急に構築する必要に迫られたが、ここでも日本の技術は不可欠だった。日本はこの要請に応え、日米の共同研究を正式決定したが、米国はさらにこのシステムを国際的に展開すると決めた。
 日本が開発に携わった防衛システムが世界に輸出されるとなれば、武器輸出三原則に違反してしまう。しかし米国の要請を断ることもできない。結局日本は、ミサイル防衛の分野に関しては「武器輸出三原則等によらない」との決定を、官房長官談話の形で発表することにした。
 当時日本は、安全保障上の深刻な危機に瀕していたわけではなかった。しかし世界の紛争を収拾しなければならない米国の要請に、いかに応じるかという判断を迫られてきたのである。

日米同盟に難題をもたらした武器輸出の全面禁止

日本をとりまく安全保障環境はここ数年で激変した。その最大の原因は、中国の脅威が急速に高まっていることにある。これは米国からの要請ではなく、日本の防衛そのものの緊急的な課題である。
 中国の軍事的脅威に対抗するには、日本独自の防衛戦略の再構築が必要となった。現状の戦略では隙が多く、隙間のない対応を練り直さなければならない。しかしその実現には、日本の防衛産業による下支えがなければならない。ここで問題なのは、長年の武器輸出の全面禁止によって、肝心の防衛産業がすでに弱体化していることにある。
 日本国内では、縮小する装備品契約額を多くの企業が分け合っていた。採算は悪化し、多くの中小企業は撤退した。防衛産業基盤は、危機的な状況に陥っていたのである。
 世界では、拡大しつつあるテロや海賊行為の対策のために、装備品の開発強化が急がれている。しかし日本はこのニーズを取り込めない。まさに「ガラパゴス化」状態だ。
 日本の防衛を真剣に考えれば、武器輸出三原則の見直しは当然だ。防衛産業が衰退する中で、どうして防衛力を強化できるのか。また、安倍首相が打ち出している「積極的平和主義」の観点からも妥当だ。日本の高度な技術が世界の安全保障に貢献するのであれば、大いに奨励すべきである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました