国際勝共連合 機関紙 思想新聞は創刊56年 通巻1898号 (令和8年5月1日)

連合赤軍   あさま山荘30年 共産主義の本質を忘れるな

思想新聞2002年3月1日 主張

 今年2月で連合赤軍によって起こされた「あさま山荘事件」から30年が経過。同事件は今年、相次いで映画化されるなど改めて注目を集めているが、我々はその本質を正しく捉えておく必要がある。すなわち同事件はあくまでも共産主義思想によりもたらされた惨劇だということである。単に、警察に追いつめられた少数の過激集団が特殊な心理から人質事件や大量リンチ事件を引き起こしたという性格の事件ではない。共産主義による虐殺事件として末永く歴史に刻んでおかねばならない。

「あさま山荘事件」は1972(昭和47)年2月、警察に追われた連合赤軍の幹部・兵士5人が、長野県軽井沢町の河合楽器保養所「あさま山荘」を占拠し、管理人の妻、牟田泰子さんを人質に取って籠城。長野県警や警視庁などの機動隊員約1500人が包囲し10日後に突入して解放したものの、警察官2人が殉職、12人が重軽傷を負った極左集団事件である。犯人逮捕後、「総括」と称して仲間14人をリンチ殺害していることが発覚、戦後未曾有の大量殺りく事件として一連の事件を「連合赤軍事件」と呼ばれている。

 同事件30年に当たって先にNHKがドキュメント番組「プロジェクトX」で取り上げたほか、「突入せよ! 『あさま山荘』事件」(原田真人監督・5月公開)など映画化も進められている。これらでは機動隊の苦労談や集団と個人のあり方などに焦点が当てられており、国民の注目を集めている。しかし、事件の思想的背景について語られることはない。

 そこで次の諸点を想起しておきたい。

 第一には連合赤軍は日本共産党の流れを汲む共産主義集団であったということである。

 連合赤軍は共産同赤軍派と日本共産党左派・京浜安保共闘(いずれも共産党の分派)が合体して作った組織である。このうち共産同赤軍派は、昭和30年に日本共産党のいわゆる「六全協路線」(宮本路線)に反対し、当面の敵を「日本独占資本」一つに絞り「社会主義革命」を標榜して共産党から飛び出した学生らが組織した共産同の一派である。

 また日本共産党左派・京浜安保共闘は日本共産党が毛沢東と決別したことを批判し「銃口から政権が生まれる」との毛沢東主義を標榜した元共産党員の集団である。いずれも70年安保闘争を社会主義革命に転化すべく銃砲店や銀行を襲撃する事件を繰り返し、大菩薩峠事件で大量逮捕者を出し孤立化を深めたことから組織合体した。その組織の一部(重信房子ら)は国際革命拠点を築くとして中東に逃れ日本赤軍を結成、また一部は「よど号ハイジャック事件」で北朝鮮に逃れた。いずれにしても彼らは共産主義思想を信奉する革命集団である。

 第二に、彼らは共産主義思想に従ってリンチ殺人を行ったのであり、そのことは連合赤軍にとどまらず日本共産党がリンチ殺人事件(宮本リンチ人殺し事件=1938年)を起こしていることからも明らかであるということだ。

 連合赤軍リンチ事件では武装蜂起によって革命を起こそうとする最高幹部・森恒夫らが、仲間が次々検挙されるので同志に懐疑心を抱き「スパイ」「規律違反」「反逆罪」などで次々に虐殺、死体を山中に埋めた。「敵の前での自己批判、転向は、革命に対する犯罪で裏切りである。脱走者、転向者は、反革命と認められたとき、われわれは死をもって追及する」(毎日新聞=72年3月8日)とした。戦前の共産党によるリンチ人殺し事件も「(スパイには)革命的憤怒をもって要求する。『死刑だ!』」(赤旗・34年1月17日)としている。

 連合赤軍も共産党も殺人を革命の名のもとに公然と正当化している。森恒夫は上申書で「(同志の死は)革命戦争の主体構築の闘いの中に刻まなければならない」と言い、共産党は「中央委員会は党史上未だ嘗て見ざる最大のプロレタリア英雄主義を発揮して挑発者の二元凶を打倒した」(赤旗・34年1月10日)と述べている。

 このように共産主義思想は人をして殺人鬼にすることを知っておかねばならない。

勝共理念の啓蒙で悲劇を防ごう

 第三に連合赤軍事件の悲劇を二度と繰り返さないためには共産主義思想の間違いを正さねばならないということである。

 機動隊に銃を撃ち続けたり、同志であった仲間を「総括」して殺すことができたのは、人間の精神性や霊性を否定する唯物的人間観が根底にあったからである。革命のためには何でも正当化される恐るべき共産主義思想こそ糾弾されなければならない。その意味でこうした思想に取り付かれた当時の学生・青年達も犠牲者といえる。

 今なお日本社会に共産主義思想が浸透している現実を直視し我々は勝共理念の啓蒙を改めて誓うものである。

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