国際勝共連合 機関紙 思想新聞は創刊56年 通巻1896号 (令和8年4月1日)

日本の建国を祝う会 1500人が盛大に建国を祝賀

思想新聞2003年3月1日【建国記念の日・奉祝中央式典】

奉祝中央式典を開催創業精神で文化伝統の復権を

 建国記念の日のさる2月11日、「日本の建国を祝う会」(会長=小田村四郎・拓殖大総長)の主催により、東京・代々木の明治神宮で「奉祝中央式典」が開催された。会場には約1500人が参加、主催団体の一つである本連合からも役員はじめ多数が参加した。皇紀2663年にあたる今年の一連の奉祝行事では、式典に先立つ午前10時から正午まで恒例の奉祝パレードが挙行され、小雨の振る中、明治公園~原宿・表参道~明治神宮までを鼓笛隊やブラスバンド、神輿など長蛇の列が練り歩いた。
 続いて午後1時から同神宮内の明治神宮会館において奉祝中央式典が執り行われ、第一部の記念式典に続き、第二部では「幸せの国 日本~皇室と共に古代を保つ近代国家~」と題して篠沢秀夫・学習院大教授による記念講演が行われた。

 記念式典では、小田村四郎会長が開会にあたり主催者挨拶に立った。小田村会長はまず昨年暮れ以来の天皇陛下のご病気に触れ、「陛下は年明けの諸行事を務められた後、東大病院にご入院、前立腺の手術をお受けになられたが幸い手術が成功、術後の経過も順調で、2月8日に無事ご退院なされ国民一同安堵した」と述べた。さらに「日本書紀によると、全国を平定し神武天皇が大和の国・橿原の地でご即位の礼を挙げられた日とされる。これによりわが国は神話時代から歴史時代に入った。以来、一系の皐統を連綿として現在に至っている。このように、神話と歴史が連続し、現在も繁栄する国は世界でも類を見ない、と文化人類学者レヴィ=ストロースも驚嘆した。福田恒存氏の言うように『歴史は共有された過去、歴史教育は過去の共有の継承、歴史の断絶は過去の共有の不可能』である。神武伝承は記紀のみでも、明治時代の創作でもない。古くは『風土記』『万葉集』に詠まれ、一貫して変わらぬ歴史認識だった。神武創業の精神に立ち帰り、二千余年来営々と培われてきた歴史伝統と文化に根ざした国の姿を回復するべく決意を新たにしたい」と語った。

 来賓として、自民党組織本部長代理の狩野安・参院議員が挨拶した。また、外国の駐日大使・公使らが多数列席する中で、ハイチ共和国のマルセル・デュレ全権大使が祝辞を述べた。
 なお、式典には本連合を代表し高橋正二本部理事が来賓として参席。「決議文」の採択の後、神武天皇が奈良・橿原で即位された故事にならい、橿原に向かって遙拝。紀元節の歌を斉唱し、小堀桂一郎・参事による「閉会の辞」と万歳三唱で第一部を終えた。
 続いて第二部の記念講演に移り、篠沢秀夫・学習院大教授が専門のフランスと日本を比較しつつ、文化の相続という共通性をユーモアを交えて語った(要旨別掲)。

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【講演要旨】

記念講演「幸せの国 日本」~皇室と共に古代を保つ近代国家~篠沢秀夫・学習院大教授

よき文化伝統を相続する日仏

「フランスに、しかもフランスの古い血筋において生まれることは、たとえ惨めな者の中で最悪の立場だとしてもなお、巨大な資本と神聖な特権の所有者として生まれるということだ。それは自分と共に、自分の中に、相続の自覚をもつことだ」 
 これはシアヌ・ウォーラスというフランスの大作家の文章の一部だ。
 このフランスを日本に置き換えても十分通用する。ウォーラスは偏狭な人種主義者ではなく、「フランスの古い血筋において生まれる」とは「フランス人として生まれる」という意味だ。
「ナシオン」、英語の「ネイション」は「国民」と普通訳されるが、ラテン語では「生まれ」を意味した。フランス革命以降、ナシオンは「国民」を表し、人種・種族と区別した。この点、フランスは米国と同様「属地主義」で、フランスで生まれれば国籍問わず「フランス人」。また、文化的継続の主体としてのフランス人という考え方がある。それが米国と異なる。日本国籍は「属人主義」で、世界中どこで生まれようが、日本人の親が日本領事館に手続きすれば日本人。だから戦時中に強調され戦後悪いイメージで忌み嫌われる、いわゆる「大和民族」ではない。
「日本人」は日本列島で今から3千年~1万年前頃に、すっかり混血の済んだ集団だ。「人種」「種族」という言葉に対し、日本では明治の終わり、20世紀に入り「民族」という語が使われた。しかし民族は元来、必ずしも「血」を意味するのではなく、言語や文化、集団意識というものと深く関わるはずのものだ。
 例えばフランス語が英語に入った背景には歴史的経緯がある。1066年にノルマンディー公ウィリアムが今のイングランドを攻めアングロサクソン王を破りイングランド王となった。このウィリアムこそ現在の英国王室の先祖だ。彼はフランス貴族だったので、当然古代フランス語を話した。つまり1066年以後、イングランドの王侯貴族はフランス語しか話さなかった。そこで食肉としての「ポーク」や「ビーフ」(フランス語源)、歩く動物としての「ピッグ」と「カウ」という具合に、英語の二重性が生じた。それが混ざり合わさって14世紀にフランス語でもアングロサクソン語でもない「イングリッシュ」が成立した。現在の英単語の約6割がフランス語に由来する。
 それから、現在の日本語は、明治以降日本の近代化が進んで国民教育の過程で「つくられた人工語」で、全国誰でも標準語が話せるわけだ。
 またいわゆる「ボン・フランセ」(よいフランス語)も実は人工語。それは宮廷を通じ確立した書き言葉が革命で全国に広まった。フランスのように、標準語として統一されているという国は、ヨーロッパではフランス以外にはほぼ見られない。 
 フランスには何千年も前からケルト人が住んでいたが、多くのフランス人はそれを忘れている。
 古代ローマ人は今のフランスを含む一帯を「ガリア」と呼んだ。ここには主にケルト人が住んでいたが、ローマ人はガリア人と呼んだ。自分の国に対する誤解は、社会に多々ある。古代フランス語はラテン語の崩れた形を話した、と見なした。だからケルト語を話すブリタニア(英国)からブルターニュにきた人々を、自分たちと同じケルト人だと思わなかった。ローマが衰えて「大移動」と称しゲルマン人(フランク族)が沢山やってきてガリアに住みついたとされるが、その人数は実はそれほど多くなかった。ケルト人との混血が進み、ケルト系に呑み込まれてしまった。だからやがて王ですらゲルマン語を話さず、ラテン語系統のフランス語が形成されていった。
 また、ナシオン(国民)、「フランス」という観念が実は、フランス王政の歴史の中でじっくりできあがったものであり、突然現れたものではない。
 そしてそのことが実は日本にも言え、フランスと日本は、「継続性」という点で似ている。神武伝承が書かれている日本書紀は720年にできあがったものだ。正史といはどれも、その国の王朝の正統性を主張するために書かれたものだ。フランス語の「イストワール」は英語に入り「歴史」(history)と「物語」(story)に分かれた。
 建国記念の日に反対する人々は「神武伝承は実証された歴史的事実ではない」というがナンセンス。八世紀初頭に1300年も前の証拠を出せと言われてもあるはずはない。それはイストワール、物語や神話としての歴史でも一向に構わない。その時からでさえ間違いなく1300年経っている。「三種の神器」も間違いなく1300年受け継がれている。フランス人からすれば、日本書紀成立ですら第一王朝よりも百年古く、驚嘆に値するものである。 (文責編集部)

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