この記事は2011年1月27日に投稿されました。
バラク・オバマ大統領は名弁士である。1月25日、オバマ大統領は「未来を勝ち取る(Win the Future)」をキーワードとする一般教書演説を行ったが、米国民の夢に訴える大演説だったといってよい。昨年の初の一般教書演説では「米国が2位になることは認めない」だったが、金融危機から約2年が過ぎ「株式市場は再び活性化した」と宣言し、「雇用や雇用がもたらす生活の質」という視点に立つことを求め、中国など新興国の台頭に対して米国が将来も世界的指導力を発揮できるよう経済競争力の強化を訴えた。その演説の中で飛び出したのが「スプートニク・ショック」だった。現在の状況を「我々の世代にとってスプートニクの瞬間だ」と強調し、チャレンジ精神の発揮を国民に訴えたのである。米国には精神的革命が何よりも必要とされているのだ。
「第2の真珠湾奇襲」となったソ連の宇宙開発
「スプートニク・ショック」とは何だったのか。これは1957年10月4日、「アメリカの食らった『第2の真珠湾奇襲』」と呼ばれたものである。この日、ソ連は米国を出し抜いて史上初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功したからだ。ロシア語で衛星あるいは同伴者を意味するスプートニクは直径83・6キログラムのアルミニウム製の球体である。周囲の密度と温度を測定する計測器を積んでいるシンプルな人工衛星だが、これを宇宙に送り出すには「第1宇宙速度」で飛ばさねばならない。この速度は高度200キローメートル以上で水平方向に毎秒7・9キロメートルの速度を与えれば地球の軌道に乗るというもので、これ以下なら物体は地上に落下する。これだけの力を出せるロケットがあれば、「第1宇宙速度」の壁を破り人工衛星が生まれる。スプートニク1号は人類で始めてこれをやり遂げたのだった。米国にとってこれが「スプートニク・ショック」である。その直前にソ連はICBM(大陸間弾道弾)の開発に成功しており、それに続く人工衛星は真珠湾以来の衝撃を米国社会に与えたのだった。
当時、上院議員で後にケネディ大統領のもとで副大統領になるリンドン・ジョンソンは次のように述べている。「ローマ帝国が世界を支配したのは道路を建設する力があったからだ。その後、海の時代となって大英帝国が世界に君臨したのは船を持っていたからだ。次に空の時代となり、我々が力を得た。ところが今、共産主義者が宇宙の時代の足場を築いたのだ」。しかもこのショックの覚めやらない1ヵ月後の1957年11月、ソ連はライカ犬を搭載したスプートニク2号の打ち上げにも成功した。焦ったアイゼンハワー大統領は1957年12月、屈辱挽回をこめてロケット打ち上げを敢行するが、重量がスプートニクのたった50分の1(1・6キログラム)の軽量にもかかわらず、わずか6インチあがっただけで墜落した(あがらなかった)。翌1958年1月にようやく打ち上げに成功したものの、「宇宙に浮かぶアメリカ・オレンジ」とフルシチョフに冷笑されるほどの小さな衛星だった。そこで米国は1958年10月にNASA(国家航空宇宙局)を創設し巻き返しを狙った。
アポロ計画成功は「勝共」の精神だった
だが、1961年4月に「ガガーリン・ショック」に見舞われることになる。4月12日にソ連が米国に再び不意打ちを食らわしたのだ。人類初の宇宙飛行の栄冠は、ヴォストーク1号のユーリ・ガガーリン少佐に輝いたのである。彼は宇宙から「地球は青かった。宇宙には神はいなかった」とのメッセージを全世界に送った。これは唯物論の勝利宣言ともいえた。「努力を怠れば我々は置き去りになる。そして『赤い月』が出現する」と、第35代米国大統領に就任したばかりのジョン・F・ケネディ大統領は危機感を深めた。そこでケネディ大統領は同年5月25日、「我々は月に行く」と宣言し、アポロ計画を全世界の人々に向かって発表したのである。「困難だから挑む。我々のすべてが働かなければならない」との訴えは、宇宙競争でソ連を追撃する米国の決意が秘められていた。以後、米国は威信をかけ国家事業としてアポロ計画を推進した。費用は240億ドル(約8兆円)、最終的には2万の企業と40万人が動員された。とりわけ「無数の宇宙工学的課題」の解決のために巨大な研究開発機構が形成され、アポロの前段階であるジェミニ計画などが進められた。
これら計画はケネディ、ジョンソン、ニクソンへ受け継がれ、1968年12月に初の有人月旅行(月の軌道に乗る)がアポロ8号によってなされた。「神がいなかった」とのガガーリンに対して、ボーマン船長は地球へのメッセージとして聖書の創世記を朗読した、「太古に神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵をおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は『光あれ』と言われた。すると光があった」と。この成功のもと1969年7月20日、ついにソ連に先駆けてアポロ11号からニール・アームストロング船長らが月に着陸した。アームストロング船長が述べた言葉、「これは1人の人間にとっては小さな1歩だが、人類にとっては偉大な1歩である」は、こうした長い歩みの感激がこもっていた。まさに唯物論・ソ連との戦いを勝ち抜いた「勝共」の精神だったといってよい。
レーガンのSDI構想に引き継がれソ連終焉へ
こうした宇宙開発競争を継承したのは1980年に第40代大統領に就いたロナルド・レーガンだった。西側諸国はオイルショックによって経済的に打ちひしがれており「悪の帝国」(すなわちソ連=レーガン大統領)だけが勢いづいており、宇宙でも「サリュート」で宇宙ステーション計画を推進し、1歩も2歩も進んでいた。だがレーガン大統領はひるまずに「宇宙フロンティアの開拓」を訴え、1981年4月にスペース・シャトル「コロンビア」の打ち上げに成功、そして1983年にSDI構想(戦略防衛構想)を発表した。これは「スターウォーズ計画」と呼ばれたように、宇宙空間からレーザー光線やキラー衛星を使って敵の核兵器や核施設、軍事衛星を破壊しようというもので、当時、ソ連の人工衛星が7割を占めていた軍事衛星やICBMを大気圏で抹殺してしもおうという壮大なプランだった。当時、米国には「宇宙にまで戦争を拡大する」「膨大な経済的損出だ」といった批判が絶えなかったが、レーガン大統領は退かず、保守系マスコミとりわけワシントンタイムズ(文鮮明師創設)がSDI推進キャンペーンを張って計画推進を図った。ソ連はこのSDIに驚愕した。当時の状況を後にカルーギン元KGB(国家保安委員会)少将は「アンドロポフKGB議長(後の書記長)は80年代初め、SDI構想を察知してソ連国内と海外のすべての拠点に至急電報を密かに送った」(産経新聞94年10月6日付)と証言している。結局、ゴルバチョフ書記長は米国との軍拡競争に耐えられないと判断してペレストロイカを決断した。ゴルバチョフ政権時代のベススメルトヌイフ外相は93年2月、米プリンストン大学で「冷戦の終わり」をテーマに講演し「SDIが冷戦を終結させた」と明言している。「赤い月」の出現を許さないとするケネディの決意、そしてそのアポロの精神を引き継ぎ「悪の帝国」の解体をめざしたレーガンの確固たる信念によって冷戦は終焉に導かれたのである。
日本にも共産中国に打ち勝つ責任がある
そのレーガン大統領の1984年の一般教書は「米国はよみがえった」との高らかな宣言だった。そして今日、オバマ大統領は「未来を勝ち取る(Win the Future)」と米国民に訴えた。米国は確固たる信念、建国の精神、神への信仰を取り戻さければならない。そうでなければ未来は勝ち取れない。単なる経済的、物質的利欲をもってしてはチャレンジが続かないからである。
2009年1月20日のオバマ氏の大統領就任演説を今一度、想起してみよう。オバマ大統領は経済危機について「一部の強欲で無責任な人々のせいだけでなく、皆が困難な道を選び、次の世代に備えることができなかった結果、経済的困難にあえいでいる。この危機は本物であり、短期的で安易な解決方法はない」と警鐘を鳴らし、その上で「我々自身に、国に、世界に、喜んで義務を持つという認識、困難な任務に身をささげるほど精神を満足させるものはないとしっかりと認識することだ」と語り、「新しい責任の時代が来た」と訴え、さらにこう述べた。
「我々の共通の防衛については、安全と理想とを天秤にかけるという誤りを拒否する。我々がほとんど想像できないような危機に直面した建国の父たちは、法の支配と人々の権利を保障する憲章を起草した。何世代もの血によって拡充された憲章だ。今日でもこれらの理想は世界を照らしており、その時々の都合で手放すことはない。…先の世代は、ファシズムや共産主義に対し、ミサイルや戦車だけでなく、強固な同盟と強い信念を持って立ち向かったことを思い出して欲しい」
この精神を全米国民が取り戻すときに、米国の復活と繁栄があり、未来が勝ち取れる。このことはわが国を含め自由主義諸国の人々にとっても等しくいえることである。なぜならそれは共産中国に打ち勝つことを意味しているからだ。我々日本もまた責任を果たさねばならない。
2011年1月27日


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