国際勝共連合 機関紙 思想新聞は創刊56年 通巻1896号 (令和8年4月1日)

迷走する年金政局「国家像」不在の小手先論議

思想新聞2004年5月15日号】ニューススコープ

世代間扶養を考えよ家族を基盤の競争社会を

 政治が迷走している。福田康夫官房長官が国民年金の保険料未納問題の責任をとって辞任し、これを引き金に民主党の菅直人代表の未納責任論も噴出、結局、菅代表も辞任に追い込まれ民主党は参院選を控えて空中分解寸前の混乱に陥っている。年金法案は衆院から参院に送られ、今国会で成立する見通しだが、自公民合意によって公的年金制度の一元化問題を含めて社会保障制度全般の見直しを行い、07年3月までに結論を出すことになった。だが、国会の年金論議はあまりにも小手先すぎる。社会保障政策をめぐる混乱は、結局のところ、どのような国家を作っていくのかという「国家像」の不在に起因していることを想起すべきだ。国家像を描き、その上で改革ビジョンを提示し、それを実行してこそ政治の責任が果たせる。その原点に立ち返って考えるべき時が来た。

 いったい年金改革でどのような国家を作ろうとしているのか、与野党いずれからも「国家像」がまったく見えてこない。これは由々しき事態だ。年金をめぐる歴史を振り返って原点から考えてみる必要があるだろう。

 問題先送りが混迷を深めた

 わが国に公的年金制度が導入されたのは1961年のこと。従来の厚生年金(一般のサラリーマン)と共済年金(公務員)から落ちこぼれている自営業者を対象に国民年金制度が導入され、国民皆年金となった。
 当初の国民年金は月100円の保険料で月2000円程度(現役月収の約1割。25年拠出の場合)、厚生年金は月3500円程度(20年加入)という「生活の足し」程度のつつましい制度としてのスタートだった。
 その後、高度経済成長が続くと生活の基盤となる規模拡大が目指され、給付水準が次々に上げられた。たとえば65年には厚生年金は現役月収の4割に引き上げられ、さらに73年の「福祉元年」では賃金スライド制(過去の賃金を現在価値に引き上げる)も導入され、ついに現役収入の6割に至った。こうした引き上げを可能にしたのは、右肩上がりの所得増と人口増が前提とされたからだ。
 ところが、73年にオイルショックが到来、以降、低成長時代に突入して事態は大きく変化した。本来ならここで給付水準の見直しを図るべきだが、当時は革新自治体ブームで、野党は福祉増を主張し、一方の与党は福祉切り捨て批判を恐れて、結局、与野党そろって年金改革を先送りしてしまった。
 ようやく85年に改革が実施され、国民年金を基礎年金に転換、厚生年金と共済年金の基礎部分を共通化させる「二階建て方式」が導入され、国民年金が義務付けられた。だが、この改革も80年代のバブル経済におぼれて抜本的改革には着手せずに小手先にとどまった。
 バブル崩壊の90年代になると、さらに財源問題が浮上し、行き詰まりが深刻になり付け焼き刃的な手直しを重ねたものの、二進も三進も行かなくなって、ついに今回の年金法案の提出に至ったのだ。

 理念がなく損得勘定に

 こうした混乱を招いた最大の原因は、年金制度に対する確固たる理念がなかったことである。
 想起すべきは、わが国の年金制度は「賦課方式」であるということだ。これは言い換えれば「世代間の助け合い方式」。つまり、支払った保険料は自分の将来の年金のためではなく現在の高齢者の受給分として使う「仕送り」制度なのだ。だから本来、現役の若い世代は「我々を育み、今日の日本を形成してくれたお年寄りに感謝の念をもって仕送りをしよう」というのが基本理念となる。
 ところが、現在の年金論議はそこから外れ「いくら保険料を支払えば、老後にいくらもらえる」という損得勘定に陥ってしまっている。確かに少子社会となって現役世代が減少し、現在の制度を続ければ2000年には3.6人で1人を負担していたのが、2050年には1.4人で1人を負担しなければならなくなるから、年金制度破綻への不安が生じるのは理解できる。
 そうした背景から一層、若い世代には「保険料を払ってももらえなくなる」との不信感が増加し、国民年金の未納・未加入が37%(02年度)に至る異常事態を招き、さらにそれが将来の給付への不信感を増幅させる悪循環に陥って「世代間ギャップ」が拡大するばかりとなっている。

 倫理観を支えの社会連帯の思想

 しかし、賦課方式の年金に損得勘定を持ち込むのは根本的に間違っていると言える。ロンドン大学のロナルド・ドーア教授が「年金の未来のために『養老税』を提唱する」(『中央公論』04年2月号)で指摘しているように、本来、公的年金は損得抜きの倫理観に支えるられるべきものである。すなわち、賦課方式の下では “損”するかも知れないが、この方式は「老人たちを養うのに犠牲を払う思いやり」に価値を置いた「社会連帯重視思想」を背景にし、「向こう三軒両隣」「もちつもたれつ」といった伝統的な民情を基盤にする優れて日本的なもの、と同教授は述べている。
 むろん、現行の年金制度において年金をすべて「養老税」とすれば、財政が破綻するばかりか日本経済は立ちゆかなくなる。それに日本は社会主義国ではない。しかし、ここで問題なのは「お年寄りの面倒を若い世代が見る」という家族主義的な倫理観に裏打ちされた世代間扶養の考え方を国家像に据えるかどうか、ということだろう。
 これに対して、すべてを個人主義的な立場に立ち市場原理、すなわち損得勘定で年金を捉える考えもある。それが「積み立て方式」である。これはスウェーデンなどで採用されている制度で、毎月一定の保険料を積み立てて運用し、その元利合計を老後の年金とする方式だ。これなら世代間扶養など考えず、人口減少にも影響されないし、いくら保険料を支払えばいくらもらえるか、自分の損得を計算して生きていけよう。
 だが、その一方でスウェーデンは伝統的家族が崩壊し、同棲が当たり前となって子供の三人に二人が婚外子という社会でもある。このように国家・国民全体が個人主義的なら積み立て方式も理にかなっている(そうならざるを得ない)かも知れないが、我々はそうした国を目指してよいのだろうか。

 扶養と努力が実る混合方式

 以上のことを考えれば、世代間扶養の家族主義的倫理観を基底にしつつ、その人の努力や老後への備えが考慮される制度が日本には必要になるだろう。ここから自ずから答えが出るはずだ。
 大ざっぱに言えば、基礎年金部分はあくまでも「賦課方式」として世代間扶養を前提とし、その上で現在の二階部分を「積み立て方式」もしくは民間の個人年金を利用する制度に転換することである。とすれば、前者は税金(消費税か新たな年金税、ドーア教授のいう養老税)で対応し、後者は保険で対応するのが筋ということになろう。
 わが国の伝統文化と家族が守られ、かつ努力が報われる競争社会を実現するためには、小手先改革を排した抜本的改革を目指した政治の決断が迫られる。

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