【思想新聞2001年6月15日号 愛知】
平和統一に向かって再び動き出せ!
朴議長の講演に3千人が大結集

昨年6月に行われた、歴史的南北首脳会談一周年を記念して、朴普煕・世界平和連合世界議長(金剛山国際グループ会長)による記念講演を中心に、去る5月27日、「南北平和統一と世界平和を目指す名古屋大会」が名古屋国際会議場大ホールで開催された。およそ3千人が名古屋最大の会場に結集した。会場には国会議員、県・市議会議員、さらには大韓民国民団、在日朝鮮総連合会それぞれの代表者およそ30名が参加し、統一への気運が大いに盛り上がった。
司会の前場美智子さんが開会を告げ、はじめに主催者を代表して高橋則行大会実行委員長(愛知県議会議員)が「昨年6月13日の歴史的南北首脳会談は非常に感動的なものであった。その場で合意された施策の一つ一つが実行に移されていくことを強く期待する。難問山積の現状ではあるが、芸術文化交流など、民間交流によって統一への動きを支えていかねばならないと思う。一周年を記念して朴普煕先生の講演を聴く機会をうる事ができた。今後の方向についての示唆を得る事ができると確信している」と挨拶した。
来賓紹介、祝電披露に続いてアトラクション。愛知県出身の歌手チェオッキさんの歌、東海朝鮮歌舞団による民族舞踊および歌に、会場は統一を願う心情で満ち溢れた。
引き続いて、記念講演の為に韓国から駆けつけた朴普熙・FWP世界議長が紹介され「南北平和統一と世界平和を目指して」と題して講演した。
朴議長は「同じ舞台で南北の歌と踊りが見られる。この場こそ統一の場面である。今日は、南北首脳会談は如何にして実現したのかを中心に話したい。先ほど『突然』という言葉を使ったが、何事も『突然』ということはない。そこには原因、準備、プロセスがある。根のない花はなく、種をまかずに芽吹くことはない」と語り、歴史的事件の背景を紐解いた。
「だれが準備したのか、だれが種をまいたのか。1990年4月にソ連・モスクワにおいて世界言論人会議が開催された。そこで文鮮明総裁とゴルバチョフ大統領との会談があり、帰りの車の中で、この次ぎは北朝鮮の金日成主席と会わねばならない。それも1991年を越してはならない。朝鮮半島に第二次韓国動乱を起こしてはならないからだ」と指示されたことを紹介した。さらに「文総裁は、ソ連の終焉が北朝鮮を孤立させ、韓半島が危険な状態に陥る可能性をみぬかれた。そして、世界勝共の指導者という立場でありながら、戦争防止というきわどい目的をもって北朝鮮を訪問された」と語り、1991年11月30日から12月7日までの北朝鮮訪問が、命がけの決意で行われたことを強調した。さらに「12月6日、金日成主席と会談し、共同声明が出された。昨年の南北共同宣言で五カ条が明らかになったが、すでにそれは十年前に明らかになっていたものである。それがそのまま金日成主席の遺訓となっている」と、首脳会談の種が文鮮明総裁によってまかれたことを証言した。
しかし、なぜ文総裁の訪朝から昨年の南北首脳会談まで10年間を要したのかについて朴議長は、当時の韓国政府や保守的新聞の報道が交流を阻んでしまったことを指摘し、さらに「もう一つ本当にむなしい事がある」とのべ「金日成主席がなくなられたとき、金泳三大統領に勇気があれば、死去を哀悼し直ちに北朝鮮に弔問に行くと発言して、北に飛んでいくことができただろう。北朝鮮同胞は感激し、南北頂上会談は直ちに実現し、統一に向っていく事ができた。しかし、その決断を金泳三大統領はしなかった」と語った。さらに、朴議長が文鮮明総裁の指示により北京から北朝鮮に入り、金日成主席の死去に対して金正日委員長に弔意をあらわすことができたこと、またそれが北朝鮮と文総裁との強い信頼の絆となったことを紹介した。
そして昨年2月3日、平和自動車工場の起工式の後、金容淳委員長(朝鮮アジア太平洋平和委員会)に「太陽政策を受け入れるべきであり、南北首脳会談は今年を逃してはあり得ないと告げた。これが契機となって南北首脳会談実現へと進み始めた」と語った。
最後に朴議長は「警戒すべきいくつかの点」を挙げた。一つは「なぜ統一を急ぐのか。急ぐ必要はない」との分断固定化につながる考え方。さらに「金正日総書記の韓国・ソウル訪問は必要ない」という考え方。そして、「経済援助は無駄」との見解であると指摘し、「祖国統一は今である、との信念に燃え上がらなければならない」と涙ながらに訴えた。
講演後、来賓全員が段上に上がり、統一の歌を会場の参加者と合唱した。最後に、丸岡正策・FWP愛知県連合会北愛知地区本部長の万歳三唱で第一部が終了した。その後、部屋を移して第二部の交歓会が開かれた。


コメント