国際勝共連合 機関紙 思想新聞は創刊56年 通巻1898号 (令和8年5月1日)

モスクワ劇場占拠事件武装勢力、次のテロを予告

思想新聞2002年12月1日号【ニューススコープ】

第2のパレスチナ化か

 ロシアの首都モスクワの劇場を10月末に占拠していたチェチェンの武装勢力を、ロシア政府の治安部隊が制圧してはや三週間が過ぎた。部隊が突入した際に使用した神経ガスのために、人質120人以上が死亡するという事態となったが、ロシア国民や欧米は、プーチン政権のテロへの断固たる姿勢に支持を表明。事件は沈静化されつつある。しかし武装勢力が新たなテロを予告するなど、問題が解決されたとは言い難いのが実状だ。チェチェンの武装勢力はなぜ事件を起こし、そして今後もロシアに対して闘争を続けようとしているのだろうか。

断固たる姿勢に国民も多数支持

「ロシアはテロリストとは一切取引はせず、脅迫にも屈しない」――。
 プーチン大統領は特殊部隊を投入し、占拠されたモスクワの劇場を制圧。事件は六十時間足らずで幕が下りた。
 実際、今回の事件で武装勢力側は、700人以上の一般市民を人質にとり「要求が通らねば劇場を爆弾で破壊し、人質を殺害する」と表明しており、この行為自体を欧米もテロ行為と認定。そのため突入の際に120人以上の犠牲者が出たものの、プーチン政権は八五%もの国民の支持を得て、欧米からもテロに対する毅然とした態度を評価された。
 結局、武装勢力グループの「即時停戦、和平交渉の開始」の要求は交渉のテーブルにのることもなく、約50人ほどのメンバー全てが射殺された。「事件の結果は、テロリズムが決して正当化されないことをはっきり示した」(シュレーダー独首相)のである。
 しかし、これで今回のテロ事件が終結したと考えるのはまだ早い。チェチェン独立派のバサエフ司令官は「今後の同様の作戦は、敵に最大限の損害を与えることを目的とする」と、次の無差別テロを予告している。
 こうしたチェチェン武装勢力による人質事件は、今回が初めてではない。95年6月にはロシアの地方病院を襲い、千人近い人質を取った。このときも連邦軍の突入で数百人が死亡。96年1月にも病院を襲撃し、やはり80人ほどが死亡している。
 1999年にはモスクワで集合住宅二棟が爆破され、300人近い住民が死亡。この事件はロシアの保安機関の仕業との説もあるが、ロシア当局はチェチェン武装勢力の犯行と断定している。
 なぜチェチェンの武装勢力は、このように繰り返しテロを続けるのだろうか。

数世紀に渡って虐げられた歴史

 ロシア南西部の黒海とカスピ海の間に位置し、山岳地帯の多い小さな共和国チェチェン。ここは十六世紀以降、ロシアにとってトルコや欧州への進出口と防御の要衝であり、同国はこの地の征服に躍起になった。しかしチェチェン人はロシアに簡単に屈服せず、数世紀に渡ってたびたび反乱を起こしている。
 彼らは旧ソ連の農業集団化などの支配にも抵抗し続け、独ソ戦中には「ナチスに協力した」として、スターリンによってカザフスタンへ強制移住させられた。その数30から50万人ともいわれ、その半数が移住地で亡くなったという。
 このように、ロシアと旧ソ連によって数世紀も過酷な支配を受けてきたチェチェン人が、91年の旧ソ連崩壊時に、他の共和国とともに分離独立を求めて立ち上がったのは必然であった。

独立を阻止した露の石油利権

 だがチェチェン共和国では、カスピ海からトルコ・欧州へ伸びる石油パイプラインが通過している。重油と天然ガスの輸出が国庫の約7割~8割を占めるロシアにとり、その大事なパイプラインが他国領となることは、利権の喪失であった。
 独立勢力を排除するために94年12月、ロシア軍はチェチェン領に軍事侵攻を開始(第一次紛争)。紛争は、96年のロシア大統領選を前に一時停戦されるも、ロシア軍によるチェチェン占領状態は続いた。そして99年9月、ロシア軍は再び空爆を開始した(第2次紛争)。
 この結果、94年から現在までの戦闘により、双方合わせて10万人以上の死者を計上。今もチェチェン周辺地域では、10万人以上の難民が、非人間的ともいわれる生活を強いられている。
 この戦闘における、ロシア軍の残酷さは次第に知られることになった。規律がなく、暴行と略奪が頻繁に行われていたのである。強制連行で男性が消えた村々も出てくるようになった。
 当初、欧米はチェチェンの状況に同情的であり、「非人道的戦争」としてロシアを非難してきた。しかし昨年9月11日の米同時多発テロ以降、状況は一変。米国主導の対テロ戦争の国際的包囲網が敷かれるようになり、ロシアもこの動きに加わった。
 そしてチェチェンを「テロリスト集団」として断定。この戦いは、米国とアルカイダの戦いと同様と位置づけ、「対テロ戦争」としたのだ。
 実際、チェチェンのイスラム・グループとアルカイダとの連携は指摘されていた。このためチェチェンは欧米から見放されるようになり、その後「テロリスト掃討作戦」の名のもと、ロシア軍によるチェチェン攻撃が激化したのである。

絶望状況がテロ予備軍をつくる

 今回の劇場占拠事件は、追いつめられたチェチェンの独立派が、世界中の注目を集め、国際世論の力でロシア軍をチェチェンから撤退させようと計画したまさに「劇場犯罪」であった。だが結果は、多数の犠牲者を出し、ロシア政府の「対テロ戦争」の口実に弾みをつけることとなった。
 この報復として、プーチン政権は11月初旬、大規模な軍事行動をチェチェンで展開。ロシア軍とチェチェン武装勢力との血で血を洗うという構図は、パレスチナ紛争の様相を見せ始めている。
「対テロ戦争」とのお墨つきを得て、今回の制圧は支持を得たものの、今後もロシアは、チェチェン武装勢力のテロに見舞われる可能性が高い。夫を失った多くの女性が、腹に爆弾を巻いて決死のテロ行動を起こすほど、チェチェン人は絶望状態にあり、そういったテロ予備軍を多く抱えているからだ。
 プーチン政権にしても、今後テロが多発すれば、その支持は揺らぐであろう。そういった意味で、今回は一つの事件が力でねじ伏せられただけであり、真の問題解決ではなかったといえる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました