国際勝共連合 機関紙 思想新聞は創刊56年 通巻1898号 (令和8年5月1日)

パレスチナ和平風前の灯火「ロードマップ」

思想新聞2003年9月15日号【ニューススコープ】


アラファト追放が焦点に
イラク不穏で強硬派が台頭

 パレスチナ和平が岐路に立たされている。パレスチナとイスラエルとの恒久的な包括和平構想である中東和平ロードマップ(工程表)がアッバス・パレスチナ政府首相の辞任によって崩壊寸前にまで追い込まれてきたからだ。ロードマップによれば第一段階としてパレスチナ側のテロ停止、イスラエル側の入植地放棄などを決めているが、これらは一向に進展せず、再び報復合戦の悪循環に陥っている。アッバス首相は治安力を政府に一元化して事態を収拾しようとしたが、権力維持の野望を捨てないアラファト議長に拒まれ、ついに首相辞任に至った。この背景にはイラク情勢がある。米軍が治安を安定化できないことからパレスチナ過激派が勢いづきロードマップ潰しに動き出し、アラファト議長がこれを容認したからだ。今後の焦点はイラク安定と「アラファト追放」に絞られてきたといえよう。

 6月4日、ブッシュ米大統領はエビアン・サミットを中座して中東を訪問、ヨルダン南部のアカバで、シャロン・イスラエル首相とアッバス首相とともに歴史的な首脳会談を開き、イスラエルとパレスチナの平和共存宣言にこぎつけた。
 会談後、シャロン首相はこう述べた。「民主的なパレスチナ国家樹立はイスラエルの平和に結びつく。イスラエルは無許可のユダヤ人を入植地から即時撤退する」
 一方、アッバス首相はこう述べた。「イスラエルとパレスチナ国家の平和共存が我々の目標だ。あらゆる手段を使い武装蜂起を終わらせる」
 ブッシュ大統領は、この会談から帰国する機中で、興奮さめやらぬ口調でこう語った。「会談では驚くべき発言があった。パレスチナの首相がユダヤ人の苦悩を語り、イスラエルの首相がパレスチナ国家について話したのだ」
 憎悪の対象だった両者がそれを捨て共存を認め合った三者会談は、まさに歴史的会談だったといえよう。米国がここまで両者を引っ張ってこれたのは、ひとえにイラク戦争の勝利だった。
 パレスチナとりわけ過激派はイラクのフセイン政権から多大な支援を受けていた。そのフセインが打倒されたことで、サウジアラビアはじめアラブ諸国内で過激派に資金提供を行う国は皆無になった。イラクの次はパレスチナ問題の解決と米英は主張し、これがアラファト議長への強力なシグナルとなったのだ。
 フセイン政権崩壊を目の当たりにしたアラファト議長もようやく観念し、米国と欧州、エジプトの圧力に屈してパレスチナ自治政府初代首相に穏健派のパレスチナ解放機構(PLO)のアッバス事務局長の就任を承認したのである。こうして4月29日から開催されたパレスチナ評議会でアッバス政権を了承され、これを受けて米国は四月三十日、ロードマップをイスラエルとパレスチナに提示した。ロードマップは米国と欧州、国連、ロシアが取りまとめたものだ。
▼第一段階(~03年5月)
 パレスチナ側…暴力の即時停止。テロ組織摘発の開始。憲法草案の作成。自由で公正な選挙の早期実施
 イスラエル側…市民への攻撃やインフラ破壊の停止。2000年9月まで軍撤退。入植活動の凍結と01年3月以降の入植地放棄。
▼第二段階(03年6~12月)
 暫定的な国境を持つパレスチナ国家の樹立。パレスチナ自治政府が憲法承認。パレスチナの経済復興と自立を支援する国際会議の召集。
▼第三段階(04年~05年)
 第二回国際会議の召集。国境線の確定、難民問題、エルサレムの帰属などの協議。
 こうして05年にパレスチナ問題を解決しイスラエルとパレスチナの二つの国の共存体制の構築がめざされた。
 ロードマップは6月4日の首脳会談で二国が正式に受け入れ平和共存に合意された。だが、ハマス(イスラム抵抗運動)やイスラム聖戦などの過激派は武装闘争継続を宣言(6月6日)、イスラエルも過激派掃討作戦の継続を宣言し報復合戦が続いた。しかし、6月29日、ハマスなどの主要三派が一時停戦を表明、7月2日にはイスラエル軍がヨルダン川西側から撤退し、ロードマップの進展が期待された。
 ところが、8月に入ると過激派が再び自爆テロを繰り広げ、これに対してイスラエルは報復攻撃。8月21日にハマス最高幹部を殺害したため、ハマスは停戦破棄を表明。アッバス首相はハマスに停戦を要求したものの、逆に裏切り者呼ばわりされ、ついに九月六日、辞任するに至った。
 なぜ八月に入って自爆テロが相次ぐようになったのか。過激派が入植地から撤廃しないイスラエル軍に業を煮やしたこともあるが、最も大きな影響を与えているのはイラク情勢といえる。
 パレスチナ過激派の一部はロードマップで動きが取れなくなったことから対米「聖戦」の場をイラクに求め、これにイスラム過激派の摘発を強めるサウジアラビアから大量の過激派メンバーが合流、さらにアフガニスタンやイランから流入した過激派らが加わり、フセイン残党勢力と連動して、イラクでテロを激化させた。こうしてテロは対米軍からインフラ爆破などに拡大、8月19日にはバグダッドの駐国連イラク事務所への自爆テロを敢行し、デメロ事務総長特別代表ら二十数人を死亡させるに至った。
 イラクでの米国の軍事プレゼンスが揺らいでくるとパレスチナも揺らぐのは当然の力学といえるが、これに呼応しハマスなど過激派が自爆テロを再開させた。
 この間、パレスチナの最高指導者であるアラファト議長は何をしていたのか。パウエル米国務長官が「不幸なことにアラファト議長は有益な役割を何ら果たしていない。彼は『平和の対話相手』ではない」(9月5日)と述べているように、同議長は和平への役割を果たさないばかりか、アッバス首相側近のダハラン治安担当国務相の権限を事実上奪い、治安組織を八組織に細分化して、そのトップの過半を議長の腹心で抑えるなど相変わらずの権力掌握に走ってきた。
 だからアッバス首相はテロ組織摘発を進めることができなかった。米国や国連などの要求をいれて「政府」をつくっても、実態はアラファト個人独裁体制を敷いてきたのだ。「アラファトが諸悪の根源」と多くの中東専門家が指摘してきた通りの展開である。彼はパレスチナ国民の安泰よりも自らの権力の安泰の方に関心があるのだ。
 アラファト議長はクレイ氏(パレスチナ自治評議会議長)を後任の首相に指名した。クレイ氏はアッバス氏同様に治安組織に基盤をもたない財務畑の人物で、アラファト議長の意のままに動かない限りアッバス氏の二の舞になることは明白だ。
 今後、イスラエルは「アラファト追放」に乗り出してくるだろう。米国や国際社会がこれを黙認する公算が高い。米国はイラクでの対テロ戦を勝利し、新生イラクをスタートさせるまで身動きがとれない。イラクが健全な国家として盤石になれば、アラファト議長の命運が決まる。その前にイスラエルが行動に移すかが焦点となる。
 ともあれ、ロードマップの後退は避けられない。振り出しに戻らねば幸いである。

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