国際勝共連合 機関紙 思想新聞は創刊56年 通巻1898号 (令和8年5月1日)

風雲急のアフガン情勢 タリバン崩壊も楽観できず

思想新聞2001年12月1日】【ニューススコープ】


血洗う歴史に終止符打てるか

 世界中のメディアがベトナム戦争のようにアフガンの泥沼化を危惧したことがウソのように、「ラマダン(断食月)」を迎えるのと前後し、欧米の支援で戦力を整えた北部同盟側が首都カブールはじめ主要都市からタリバンを撤退させ、タリバン崩壊は決定的となった。焦点は今や新政権をどう構成するかに移ってきている。

 アフガニスタン情勢は、タリバン政権崩壊によって再び1990年代初めの状況に戻る形となった。同じパターンの歴史がくり返されている。両者の違いは、前回、西側諸国は介入も援助もしなかったが、タリバン後の今回、テロを恐れる世界世論を背景に、国連を前面に立て、穏健イスラム国家樹立を実現しようと躍起になっていることだ。アフガンに平和な時代が始まることは、簡単にはあり得ないが、何らかの妥協による平和が実現する希望もある。しかし、このためには先進国が高い代価を払わされるだろう。
 国連のリーダーシップの下で、元国王派、北部同盟代表、パシュトゥン人代表らが協議を行っている。米国、欧州諸国、日本が軍事力や物資、資金で協力しようとの熱い意向を見せていることが、希望の源泉である。しかし、問題はこうした先進国の意欲がいつまで、そして、どこまで続くかだ。
 かつて、アフガン解放のために闘った反共武装勢力八派が首都カブールに結集、世界の注目の中で新政権樹立へ向けて協議を始めたのは、ナジブラ政権崩壊後の九二年のことであった。共産主義崩壊による新しい世界秩序建設への夢にいよいよアフガンも加わることになったわけだ。しかし、間もなくこのような期待が、全くの的外れであることが明らかになった。カブール市街で主要各派間の激しい戦闘が勃発、市街は徹底的に破壊し尽くされた。市民生活はズタズタに切り裂かれ、共産政権下でもかつて味わったことのない苦しみが始まった。 
 世界は改めてアフガニスタンの持つ歴史的かつ風土的な特殊事情を知らされることになった。つまり、深い民族間の憎しみと怨念、残酷な殺りくと略奪の、血塗られた歴史だ。その上、権力と金を目的とした露骨な権謀術数に長けた風土だ。
 故マスード将軍に率いられたタジク人勢力は、94年までに、パシュトゥン人やウズベク勢力を撃退、最後に残ったハザラ人武装勢力を屈服せしめ、カブール全市の支配権を掌握した。
 その後タリバンの脅威が高まり、マスード、ドスタム(ウズベク人)、へクマテイヤール(当時、パシュトゥン人の最大軍閥)、カリリ(ハザラ人代表、バーミヤン地方に拠点)、イスマイルカーン(ヘラートの軍閥、イランの支持)が北部同盟を結成するにいたった。 
 へクマテイヤールは、対ソ戦争時にはパキスタンを通じて、米国の軍事援助の最大部分を入手していたが、あまりにも利己的で国民からも不信感をもって嫌われていた。九三年にはカブールの外にいて、市街をロケット弾で砲撃、多数の市民を殺傷した。96年には、北部同盟の首相としてカブールに入ってきた。その後、タリバンに追われ、実権を失ってイランに亡命中。この種の人物が、アフガンには多いことが、懸念材料だ。
 ドスタム将軍は、ソ連軍の将校時代から今日まで生き延びてきたが、粗野で残酷、裏切りと不信に彩られた記録を持っている。ドスタムは、ナジブラ元大統領を裏切った。このため結局、ナジブラはカブールから脱出できなかったことで、4年後にカブールに入ってきたタリバンに殺されることになった。また、タリバンが、最初にマザリシャリフに入ってきたのは、有力なドスタムの部下が、逆に裏切ったからであったが、それもドスタムが、実力ナンバー2の彼の兄弟の人気と力を恐れて、暗殺したことが要因となっている。今後も、ドスタム将軍の存在はアフガンの平和実現にとって厄介な問題となるだろう。
 日本人と良く似た顔だちの少数派ハザラ人は、ジンギスカンの落とし子ともいわれているが、ウズべク人とは縁戚関係にあり、主として中部アフガンに住んでいる。ドスタム支配下のマザリシャリフや首都カブールにも大勢が住んでいる。しかし、パシュトゥン人からは、蔑視され迫害されてきた歴史を持っている。タリバンがマザリシャリフに二度目に入ってきた時には、市民7千人が無差別に殺害されたといわれている。また、タリバンが爆破した巨大石仏で有名なバーミヤンでは、相当数のハザラ人がタリバンの手で殺りくされたことが、国連の報告でも確認されている。カリリ氏に率いられた兵士達は、このヒンズークッシュの深い山並の洞くつに隠れながら、タリバンとの戦いを耐え抜いてきた。パシュトゥン人との間に深く、癒しがたい溝がある。
 アフガニスタンは、中央アジアと西および南アジアへの交通の要衝であり、外部勢力の絶えざる侵入を受けてきた。アレキサンダー大王から始まって、ペルシャ人、トルコ人、モンゴル人の各勢力、イスラム教徒の侵略者、英国、ロシアなど次から次へとくり返されてきた。
 反ソ闘争終了後の最大の干渉勢力は、パキスタンであった。パキスタンはパシュトゥン人を後押しし、自国の利益を図ろうとしてきた。それが原因で、タジク人など他の少数派から反発を受けるようになった。マスードが、インドと接近したのもパキスタンのこのような政策から来ている。パキスタンとパシュトゥン人は血のつながりがある。パキスタンが、アフガン問題に中立を守ること事体が簡単ではない。
 中央アジア諸国との陸路によるパイプ構築を目指すことが、パキスタンの強い欲求である。サランハイウエイが少数派武装勢力によって通過不可能なため、カンダハル、ヘラートを通過、トルクメニスタンに至る道路を切り開くためにタリバンを強力に後押しした。これは、中央アジアの天然ガスに関心を持つ米国の利害が絡み、タリバンへの追い風となり、サウジの資金援助、ビンラディンとの合流などが重なり、タリバンに圧倒的な力を与えるに至った。
 アフガンに平和が続くかどうかの第一の条件は、各派武装勢力が過去の二の舞いを演じる愚をくり返さないことだ。第二は、パキスタンなど外部勢力が干渉することがないということだ。このために、米国はザヒルシャー元国王を切り札として持ち出し、自らも新政権を強力にバックアップする姿勢を見せている。
 国連がどのような形の政府を調停したとしても、結局はアフガン武装勢力がそれぞれ、別の影の政府を作り、二重統治になるのは間違いない。
 まず、新政権樹立を巡り各派間で熾烈な閣僚ポストの割り当てを巡る戦いが繰り広げられるだろう。首相、国防相、内務大臣、外務大臣などの重要ポストをどの派が取るか。不満が残れば、内戦勃発の火種となりうる。タリバンが崩壊した今、北部同盟の存在もまた崩壊の危機に瀕している。
 ザヒルシャー元国王が各派間のこのような利害をどう調整して纏めることができるか、また、どの程度国民の尊敬心が元国王に残されているかが注目される。現実的には、タジク人の力が強く、新政権ができても元国王は自分が属するパシュトゥン人と勝利者であるタジク人を基盤として、バランスを取りながら政権を運営することになるだろう。もちろん、欧米、日本、ロシアなどのバックを受けて。 (西邦男)

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