思想新聞2004年2月1日【主張】
政府・与党は昨年の通常国会に引き続いて今通常国会にも教育基本法改正案を提出しないことを決めたと伝えられる。自民党と公明党の意見が一致しないという理由からだ。改正案棚上げが事実とするなら小泉内閣はいよいよ教育改革から遠ざかっていくことになる。形の改革ばかりが叫ばれ、心の改革がなおざりにされている。こうした批判が現政権にしばしば投げかけられているが、それが一層、現実味を帯びてきた感がする。
どこに消えた米百俵の精神
かつて小泉首相は施政方針演説に「米百俵の精神」を持ち出したことがある。食することよりも子孫の教育を重んじた幕末の長岡藩の精神を強調したわけだが、これを今に生かせば当然「国家百年の大計」である教育の改革に思いが至るはずである。
1月19日に行われた今通常国会の首相施政方針演説では「新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい人材を育成し、人間力向上のための教育改革に全力を尽くす」とし、教育基本法改正については「国民的な議論を踏まえ、精力的に取り組んでいく」と述べてはいる。しかし、この演説とは裏腹に教育基本法改正案の棚上げをすでに決めているとするなら、小泉演説は言葉だけの見せかけの“決意表明”にすぎないことになる。先の衆院選の自民党マニフェストには「教育基本法の改正」がうたわれているが、この国民との約束も反故にされてしまう。
教育基本法改正は森前内閣からの課題だ。すでに昨年3月、中央教育審議会(中教審)は教育基本法の改正案を文科相に答申している。にもかかわらず、いつまでも「国民的な論議」を待ち続けるのはおかしな話だ。昨年1月の施政方針演説でも小泉首相は「国民的な議論を踏まえ、しっかりと取り組んでいく」と述べていた。「しっかり取り組んでいく」が、今年は「精力的に取り組んでいく」に変わっただけで、これでは1年経っても何の進歩もないと言われても仕方あるまい。小泉内閣の教育軽視への疑問はますます高まるばかりだろう。
日本を真に再生させるには、教育基本法改正を避けて通るわけにはいかない。同法制定は終戦直後の占領下でGHQ(連合国軍総司令部)の左翼勢力によって仕掛けられた「精神的武装解除」(バーンズ国務長官)にほかならないからだ。つまり、教育基本法の最大の問題は日本の精神的大黒柱を日本社会から抜き取り、子供たちから道徳心や宗教心を奪い、エゴイスティックな個人主義が闊歩する精神的ジャングルを日本にもたらしたことである。
そこを戦後長く、日教組で代表される共産主義者らにつけ込まれ、教育基本法を盾に今日の荒廃した戦後教育体制が温存されてきた。だから、教育基本法改正なくして日本の明るい未来はあり得ないのだ。それを知りながら同法改正を棚上げにするのは、恥ずべき政治の怠慢と言わざるを得まい。
与党の教育基本法改正に関する検討会が1月9日に公表した自民党と公明党の主な対立点は、①「国を愛する心」の規定②「宗教教育」の記載の二点である。公明党は「国を愛する心」は統治機構まで愛する内容まで含み保守色が強すぎる、また「宗教教育」は信教の自由を脅かすとして、いずれも改正案に盛り込むことに反対した。
だが、この二点こそ教育基本法改正の要諦である。読売新聞の1月11日社説「教育のグランドデザインを描け/基本法改正の時だ」が指摘するように「愛国心は本来、民主主義と対になり、国民一人ひとりが国家の運営に参加し、責任を持つ基盤になるものだ。他の国の人の愛国心も尊重する健全な愛国心教育が、急務」である。公明党の考える「愛国心」は本来の意味を取り違えている。
また宗教教育は特定の宗教団体の教理を子供たちに押しつけようとするものではなく、宗教的情操を涵養(かんよう)しようというものである。それこそが「公共」に関する国民共通の規範の再構築や伝統、文化の尊重の基礎となるからだ。少年凶悪事件が多発しているのは、こうした宗教的情操教育を軽視したツケである。
教育改革に与野党なし
また中教審答申が述べていたように、家庭の果たすべき役割や責任を新たに教育基本法に規定することが望ましい。ただし中教審答申は男女共同参画社会に言及しており、ジェンダーフリー思想や過激な性教育論が入り込んでくる余地を残している。そうした危険な条項は排除しなければならないことも論を待たない。
「国家百年の大計」である教育には与党も野党もない。日本の将来を確固たるものにしようとするなら、自民党は公明党に遠慮せず、民主党まで巻き込み超党派的な教育改革勢力を作り上げ、今国会で教育基本法改正を断行する気概が必要だ。


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