国際勝共連合 機関紙 思想新聞は創刊56年 通巻1887号 (令和7年11月15日)

国際会議

国際会議

韓国に「圧力」をかけた日中首脳会談

この記事は2014年12月1日に投稿されました。アジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議が開催された北京で、約3年ぶりとなる日中首脳会談が行われた。これまで中国の習近平国家主席は会談の条件として、「安倍総理が靖国参拝を行わないと明言」「尖閣...
国際会議

世界平和サミット韓国・ソウルで国際平和会議 120カ国の指導者が参加

思想新聞2004年2月15日号【国際会議】 韓国・ソウルで超宗教超国家平和協議会(IIPC)と世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)が主催する国際会議「リーダーシップとガバナンス(共治)に関する世界サミット」が1月26~29日まで同市内のロ...
世界平和連合

「新たな国境線撤廃と世界平和」

 世の中のあらゆる国境線を撤廃すれば、平和な世界は自動的にくるようになるはず。ところが、我々が銘記しなければならないのは、この世界に現存する国境線の主人が果たして誰かということ。明らかに神ではなく、国境をつくり始めた張本人はほかならぬサタン、悪魔だ。したがって、国境線がある所には必ず悪魔とその実体が隠れていることを知るべきだ。そのような結果は人間始祖の堕落が善悪の分岐点となる血統を交換してしまったからだと言える。 東洋と西洋を比較しても、文明圏を中心として背反する国境が生まれ、そこには悪魔が陣を張っている。悪なる文化的背景、歴史と伝統的背景、人種的差別など、あらゆる種類の陥穽を掘り、国境線をつくった張本人は神ではなく、サタン・悪魔だ。神が願う善なる世界は統一の世界だ。すなわち全人類が一つの大家庭をつくって暮らす一つの世界なのだ。その世界にどうして国境が存在できようか。国境がなければ怨讐もありえない。怨讐という言葉の中に国境が内在しているためだ。 怨讐を愛し一つにすれば、国境が崩れ落ちる。そのため神様の戦略戦術はいつも怨讐を愛せよということ。これほど偉大な戦略そして戦術はありえない。この途方もない内容を歴史を通し現在まで人類は知らずにきた。
世界平和連合

超宗教超国家平和協議会を創設 NY国際会議に指導者300人が結集

思想新聞2003年10月15日号【国際会議】 国連改革の必要性が指摘される中、世界平和実現のため宗教指導者も参画しての新たなビジョンを提示する「超宗教超国家平和協議会(IIPC)」創設のための国際会議(主催・世界平和超宗教超国家連合=IIF...
ニューススコープ

世界指導者サミット2003 超宗教的調和こそ平和の基礎 「ソウル平和宣言」を採択

思想新聞2003年9月1日号【ニューススコープ】 世界120カ国の国家元首経験者、国会議員、外交官、言論人、NGO指導者、女性指導者など約四百人が集まって、「転換点の世界――平和とグッド・ガバナンス(共治)の世界的ビジョン」をテーマとする「...
国際会議

WCSF・アセンブリ2003 韓国に各国指導者らが集う 宗教間の和合は世界平和の前提

思想新聞2003年8月1日号【国際会議】韓国・牙山市で開催されたアセンブリ2003 世界平和連合(FWP)の文鮮明総裁が提唱し、国境や人種・民族・宗教などの壁を超え「地球規模の心情文化世界の建設」を謳った「世界文化体育大典」(WCSF200...
世界平和連合

世界から700人の指導者が集結

思想新聞2003年2月15日【世界平和サミット2003】「世界平和のための新しいリーダーシップ(指導力)とガバナンス(共治)の模索」をテーマに、世界各国の政治・宗教指導者らが集まり、韓国・ソウル市内のホテルで2月4~5日の両日、「世界平和サ...
世界平和連合

「神と世界平和」をテーマに国際会議 米国ワシントン

思想新聞2003年1月15日号【IIFWP国際会議】文鮮明総裁が基調演説79カ国から指導者400人が参加基調講演を行う文鮮明FWP総裁 イラク、韓半島情勢が緊迫する中、2002年も終わろうとする昨年12月26日から29日にかけてワシントン近...
ニューススコープ

カナナスキス・サミット意義深める「G8世界秩序」

思想新聞2002年7月15日【ニューススコープ】サミット恒例の記念撮影でのG8首脳とアフリカ諸国の指導者たち。後列左からスペインのアスナール首相、小泉純一郎首相、ブレア英国首相、ブッシュ米大統領、ドイツのシュレーダー首相、イタリアのベルルス...
トップニュース

神のみ旨から見たイエスの生涯と神の警告 為に生きてこそ世界を導ける

思想新聞2002年6月1日【ワシントン・タイムズ創設者メッセージ】文 鮮明 世界平和連合総裁 ワシントン・タイムズ紙の創刊20周年をお祝いするのは、私にとってとりわけ喜ばしいことです。天の指示に応え、1982年5月に創刊を最終決定した経緯は...
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